2004年5月、ワニ・プロダクションから刊行された福原恒雄(1935~)の第7詩集。装幀はSICHI-RI。
目次
- 兎
- 八月のくろい雀
- 暗がりの獣身
- 途上で
- 腹
- 糠
- オコメはどこ
- 雪あかり
- 藁童子
- プラットホームで待ち合わせふう唇に
- 三月の歌は風にのって
- 剪定する男のそばでにおう
- 温泉での記録
- せんちな吐想
- 踏む
- 夢の作業
- 探しに出かけなくては
- 夏・歌
あとがき
1981年2月、萬葉堂出版から刊行された藤一也による石川善助(1901~1932)の評伝。
石川善助は、その生涯が不遇であったように、詩人としてもまた不遇な位置に置かれている。
昭和初期ロマンチシズムの中で、彼が残した一巻の詩集『亜寒帯』は、その当時の時代的閉塞状況の中にあって、北太平洋という北海を背景に、人間存在の、存在状況の極北を指向しながら、そこに一つの始源的なロマンの世界を展開してみせたすぐれた詩集なのである。
そこには同時に、原始採取・狩漁撈社会を生きのびてきた東北飢餓民の生活が、悲願のように重なる。
この善助のロマンチシズムは、もう一つ言葉をかえて言ってみれば、東北が生んだ詩人啄木・賢治・善助と連なる――あるいはここに棟方志功の版画の世界を入れてもいい――ロマンチシズムの一系譜といえるものなのである。しかも、その厳しい倫理性と美学の一致こそ、詩壇的にはアウトサイダーであった仙台が生んだ、自らは「新人生派」の一人と目した詩人、石川善助の世界であった。
高村光太郎は詩集『亜寒帯』序の中で、石川善助は徹頭徹尾北方人であったという。その厳しい北方的な詩的世界は、しかし高村光太郎もいうごとく「この痛ましい純情の詩人がどういふ位置を我が詩の歴史の上に持つか、共はもう少し歴史そのものが進展してから考えねばならない」の、その時点に、いまや到達している。
(「序」より)
目次
序
註
年譜
本文内容細目・引用詩作品索引
後書