1996年11月、青土社から刊行された高橋順子(1944~)の第7詩集。第48回読売文学賞受賞。
晩い結婚の二年四ヵ月後、連れ合いが強迫神経症を発病しました。原因はさまざまなことが考えられましたが、四六時中側にいる私という存在を、その一つの目から外すわけにはいかないでしょう。ものに怯える家人は、私に対してもまた怯えたのでした。私たちは自由に息をすることができなくなり、緊張の日々を過ごしました。
連れ合いの書く小説には髪の毛一すじの狂気が宿っていることに、私は無意識であったわけではありません。それは、文学だと思っていたのです。生活とは別次元のものだ、と。
ところが或る日、文学が生活に侵入してきてしまった。日常が非日常の霧におおわれてしまった、ともいえます。そのとき、人はどうするか――。
生活を強引に文学にしてしまうこと。自分を全力で虚の存在と化し、文学たらしめること。したがって私はこれらの作品を、なりふりかまわず、書かずにはいられなかった。結局自分を救うためであったでしょう。(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- あなたの部屋に
- 夏至
- いつも誰かの
- あなたなんかと
- 才能
- 所帯をもって
- そんな女
- 死ニ地
- 時計
- 壺1
- 壺2
- 処世術
- 時雨
- 春
- 歯ぎしり
- 夢
- 湯飲み茶碗
- 百合
- 壁の女
- 隣家の男
- 誰
Ⅱ
- 猫
- この花
- 心臓周縁
- いま
- 階段を下りると
- 月
Ⅲ
- 風船葛
- 夕日が畳に
- 聖域
- ふるえながら水を
- いつものように
- 青い刺
- 虎の家
- まだ かえらない
- 人魚
- この木のことを