黒い卵(完全版) 栗原貞子詩歌集

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 1983年7月、人文書院から刊行された栗原貞子の第1詩集『黒い卵』の完全版(検閲削除版は1946年8月)。

 

 本書は、一九四〇年から四五年にかけて、太平洋戦争前から敗戦初期にわたる時期に私が作った詩と短歌をあつめた詩歌集『黒い卵』の完全版です。
 敗戦の翌年、原爆の衝撃がまだつづく広島市の周辺で、平和と民主主義創造に向けた文化運動が始まり、まず『中国文化』<原子爆弾特集号>が創刊されました。そのような動きのなかで私は一九四六年八月に、『黒い卵』を三〇〇〇部出版しました。
 当時は、日本の言論界は占領軍の統制の下におかれていました。すべての印刷物は広告にいたるまで検閲を受けねばならず、占領軍にとって不都合な印刷物は発禁、削除、語句の変更を要求されました。『中国文化』創刊号も検閲によって部分的に削除され、自費出版の『黒い卵』も三篇の詩と十一首の短歌が削除され、さらに事後検閲を心配した私の自己規制で九首の短歌を削除し、詩二十九篇、短歌二百五十首を収めました。
 占領軍に提出した二通の検閲用ゲラ刷りのうち、一通は指定部分を朱で消されて返送されてきたのですが、私は戦後の混乱期にそのゲラ刷りを失ってしまい、『黒い卵』の検閲前の形がどのようであったか、漠然としか思い出せず、長い間気懸かりなままになっていました。
 一九六〇年代の末ごろから、占領期についての研究がさかんになり、絶版だった『中国文化』や『黒い卵』も注目されるようになりました。七五年に、私は、占領時代を研究しておられる袖井林二郎氏から、氏がメリーランド大学マッケルデン図書館に収められた膨大な量の検閲押収文書の中に、削除の痕も生々しい『黒い卵』のゲラ刷りを見つけられたことをうかがいました。
 その後八二年に渡米された広島出身の詩人で、高群逸枝研究家の堀場清子さんが同図書館で『黒い卵』のコピーをとって下さって、八二年十月、私は三十六年ぶりに『黒い卵』の原型を目にすることができました。
 私はそのゲラ刷りを読み、これらの作品を書いた戦争中のころや、自費出版するまでのいきさつを思い出しました。そしてその経過を書き入れ、削除部分を復活した完全版を出版したいと思うようになりました(『中国文化』<原子爆弾特集号>は八一年五月に復刻いたしました。)
 本詩歌集には詩三十二篇、短歌二百七十首が収められています。いま読んでみると、冷や汗の出る思いさえいたします。しかし、戦争の狂気の時代にあって、たとえ稚拙であっても醒めた目で戦争を見、反戦のおもいや原爆の惨禍を書きとどめ得たことは、若かった日々の私の歩みの証しであり、戦後につながる根っ子であることを意味しています。(「まえがき」より)

 

目次

  • まえがき
  • 黒い卵(完全版)
  • 序(細田民喜)
  • はしがき(栗原貞子
  • 詩篇
  • 短歌篇
  • 『黒い卵』と私の戦争・原爆・敗戦体験
  • ――解説にかえて
  • 資料1 CCD新聞雑誌検閲手続について
  • 資料2 プレス・コード

書評

占領期を知るための名著 黒い卵(完全版)栗原貞子(GHQ.club)

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