1975年8月、思潮社から刊行された鈴木志郎康(1935~)の第2評論集。装幀は赤瀬川原平(1937~2014)。
一九七三年と七四年に「現代詩手帖」に連載した文章を中心に、主として詩について書かれたものを集めたのが、この本である。一昨年、つまり七三年頃まで、詩を対象にして文章を書くということは余りなかった。それがこの二年間に、連載を引き受けたために、連載を引き受けたのは詩について考えてみようと思ったからであるが、連続的に詩について考えることになった。そして、私自身が詩を書いているということの詩論がここに出現することになってしまった。その詩論は、詩を書く身体と詩を書くことのためにではなく存在している身体というものの二元論をもととして転廻することになった。(「あとがき」より)
目次
Ⅰ極私的現代詩入門
- 極指摘自己批判の手掛り
- 最早偶然のままに
- 自らの詩の源泉を思う
- 自分のエゴイスムを考える
- 何んだかわからない私自身の気分
- 想像力の金縛りを考える
- 詩というものの存立を考える
- 書く肉体と書かない肉体
- 言葉を書くということ
- 自分の言葉の現実を考える
- 詩を書く私の自我意識ということ
- 夜の街を自転車で走って考えたこと
- 詩論ということへジグザグする
- 詩は一つの技術というものではないかと思い至る
Ⅱ極詩的読詩体験
Ⅲ極私的読詩感想
- 彦坂紹男の最近の詩
- 「現代詩年間'72」の詩を全部読む
- 尾形亀之助の詩を読んだこと
- 正津べんの詩に情熱を空想する
- 二百篇の投稿詩を読んで一冊の詩集を思い出す
- 吉増剛造詩集『王国』を読んでいろいろ思った
- 萩原朔太郎の詩集をざっと読む
- 萩原朔太郎の詩のエロチシズム
- 萩原朔太郎と尾形亀之助の戦争の詩
- 三木卓さんの詩に深まる孤独を感じる
- 黒田三郎氏の詩集『ふるさと』に歴史の実体を読んだ
- 北村太郎氏に危機意識から日常性へ生きて来た精神を辿ってみる
- 山本太郎詩集『日日祭文』を読んで詩論が必要だと思った
あとがき
書評等