1990年9月、思潮社から刊行された辻征夫(1939~2000)の第8詩集。第21回高見順賞受賞。
たこ八郎は、元全日本フライ級チャンピオン斎藤清作である。現役時代カッパの清作といわれたこのチャソピオンは、試合中にいきなり腕をだらりと下げ、足も止めて顔を突き出すということをときたまやった。それで相手がここぞとばかりに打って来るのを、ひょいとかわすかというと、かわさない。わざとパンチをあびているのである。ぼくの耳にはまだ、アッ、またやっていますね、いけませんねこんなことをしては、という、テレビ解説の郡司信夫さんと白井義男さんの声が残っているが、勿論ぼくも郡司さんだちと同意見で、あんなことをしていれば後遺症は確実に残るだろうし、耳もちぎれてどこかへ行ってしまうのである。ほぼぼくと同年齢のこのチャンピオンは、二十年たったいま、コメディアンとして健在というか健在でないというかよくわからない存在の仕方をしているが、先日テレビに出演中に、突如として次の詩句を朗誦したそうである。
都(みやこ)に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
心の底ににじみ入る
この佗(わび)しさは何ならむ*
私がこの小文を書いたのは、一九八五年の一月だが、この年の夏、たこ八郎=斎藤清作氏は真鶴の海岸で急逝した。
ヴェルレーヌの詩句は、ここには鈴木信太郎氏の訳になるものを記したが、たこ八郎さんは、どんな言葉で、どんな風に、この詩句を呟いたのだろうか。(「あとがきにかえて あるヴェルレーヌ」より)
目次
- 雪わりのラム
- これはいにしえの嘘のものがたりの
- 蛇いちご
- 六番の御掟について
- 昼の月
- ヴェルレーヌの余白に
- レイモソド・カーヴァーを読みながら
- アメリカ
- その赤いポストの中
- (隅田川の、古びた鉄柵に手を置き……)
- 夏は緑の葉っぱの子供と
- 八木重吉の肉体論
- ラブホテルの構造
- 春の海
- 乞食の叔父さんたちの肖像
あとがきにかえて あるヴェルレーヌ