2004年7月、思潮社から刊行された平田俊子(1955~)の第8詩集。装幀は毛利一枝、装画はアジサカコウジ。第12回萩原朔太郎賞受賞作品。
この詩集は二〇〇二年二月号から○四年一月号までの二年間、『現代詩手帖』に連載した作品をまとめたものです゜ただし毎年十二月号は年鑑となり、連載はできないという同誌の性格上、「十一月七日」「二十三月七日」は未発表の書き下ろしです。
連載開始の少し前、もう詩はやめようと思っていた。自分の詩に飽き飽きしていたし、この先、詩とどう向き合えばいいかわからなくなってもいた。もちろんそんな気持ちになったのはこのときが初めてではない。詩との倦怠期はそれまでにも何十回となくやってきた。
旧知の編集者から連載の話を持ちかけられたとき、「もう詩はやめようと思っているんだよね」とわたしはいった。「やめてどうするんですか」「どうしようか。イナカに帰ってケッコッするかな。豆腐屋か製材所の後妻がいいな」働き者のおかみさんに変貌した自分を思い描いてうっとりした。編集者は詩をやめることについて賛成も反対もしなかった。わたしが書かなくても代わりはいくらでもいる。自分はいてもいなくてもいい存在なのだとはっきり思い知らされた。
どうして連載を引き受ける気になったのかよく覚えていない。もしかすると、詩をやめることに反対してくれなかったからかもしれない。
連載第一回目、わたしは詩のあとにこう但し書きをつけた。
二〇〇二年一月より毎月七日を「詩を書く日」と決め、執筆にあてることにした。連載タイトルは『詩七日』。しなのか、と読む。七日に書くという設定に加え、デビュー以来、「これが詩なのか」といわれてきたことに由来する。(「あとがき」より)
目次
- 一月七日
- 二月七日
- 三月七日
- 四月七日
- 五月七日
- 六月七日
- 七月七日
- 八月七日
- 九月七日
- 十月七日
- 十月七日
- 十二月七日
- 十三月七日
- 十四月七日
- 十五月七日
- 十六月七日
- 十七月七日
- 十八月七日
- 十九月七日
- 二十月七日
- 二十一月七日
- 二十二月七日
- 二十三月七日
- 二十四月七日
あとがき