1991年11月、宝文館出版から刊行された長島三芳(1917~2011)の第6詩集。
走水の地名は、遠く古事記、日本書紀に伝えられ、弟橘比売命(おとたちばなひめ)の入水の場所として知られている。
この走水は、今の私の家から一つの山を越したところにあって、観音崎灯台へ行く道筋にあたり、前面には浦賀水道の青い海が、滔々と横たわっている。
戦前、走水には私の旧制中学のころの、同級生がいて、そのためか私は少年のころより、この海は馴染み深く、四季を通じてよく魚や貝などを取ったりして、砂浜を駆け回っては喚声を上げ、少年期の夢のひとときを過ごした。
走水はその名の如く、湧水の豊富なところで、戦前に国定教科書にものった、弟橘比売命の物語りとともに、私の胸の深くに郷土の一部として、強い印象で染めあげられていた。さねさしさがむのをぬにもゆるひの
ほのかにたちてとひしきみはも日本書紀が伝えるこの一首は、三浦半島の古代史の初頭をかざる、恋の歌の辞世として有名であるが、この詩集名はこうした郷土の美しい「走水」の名を意識してつけたものである。
私の詩についてすこし述べれば、生前に村野四郎氏は「長島の詩の根底は抒情だ」と喝破して、書物にも書いたことがあったが、また師にあたる北園克衛氏は、戦前、まだモダニズムが盛んであったころに「きみは自分の詩を書くように、意識を強くしては」といって、私を鼓舞してくれた。
当時、モダニズムの先頭をきって盛んな活動をしていた「VOU」、その「VOU」への亜流になるなと、私を諫め、私を鼓舞してくれた北園克衛氏は、流石に立派な詩人であった。
私はいまようやく老境に入って、ここにきてしみじみと自分の詩を振り返って見るようになり、また今日の現代詩を考えるとき、この二人の先輩詩人の言葉が、遠い日の郷愁のごとく、有り難く思うようになった。
(「走水にて」より)
目次
Ⅰ
- 木の夢
- 枯草の中
- 走水
- 金魚の火事
- 遠い少年
- 遺す言葉
- 一月の独楽
- 白浜海岸
- 労働の輪郭
- 山百合の匂いが
- 鋲音
- 約束
- 日暮おしみ
- 亡母の水羊羹
- 化粧坂(けわいざか)
- 雀と土
Ⅱ
- 小さな仏像
- 寒鯛鼻
- 空と水の絵
- 水の姿勢
- 海の言葉
- 冬の卵
- 水の音
- 仁王よ
- 静の舞
- 桃の花火
- 春の手
- 空の蜜柑箱
- ふだん着
- 野鳥
- 鳩の死
- 馬車道には
- 黒松の盆栽
- 雪
- 白い大皿
走水にて