1989年10月、書肆山田から刊行された手塚久子(1929~1989)の第19詩集。
この一冊は、一九八一年刊、『銀婚』に続くものとして編集してあります。敗戦後、めまぐるしく変貌をとげた昭和という時代。年号が改められましたが、昭和初期に生まれ育った世代にとっては、すでに敗戦時が変革の時でした。国内はじめ、世界中多くの問題をかかえ、地球の運命共同体としての認識が問われる現在、生きる姿勢への厳しい選択に迫られています。
敗戦からの歳月、さまざまな事象と出会い、親しく触れた先達者、友人諸氏との別れを刻みました。時代の転機にあたり、昭和史を生き抜いた一人ひとりの生涯から、エスプリを学びたいと念じます。(「あとがき」より)
手塚久子 一九八九年八月三十一日 帰天。
神以外の誰も、手塚久子自身さえも、死の瞬間まで、それを知ることはもちろん、予測さえできなかった。しかし、彼女は、常に自分の死を見詰めていた。そこに、怖れはなかったはずだ。彼女にとって、死は、「よく頑張って生き続けたね。もう休んでもいいよ」という、神からの呼び掛けなのだから。笑みを浮べたその顔が、それを示していた。
この詩集は、手塚久子が死去して後の刊行となるが、校正まですべて彼女自身の手で成された。表紙の材料も既に選んであり、後は出来上がりを待つだけであった。
幼い頃、彼女から次のように聞いたことがある。「書き残した文章を遺稿として発表されるのはいやだから、自分で選んで用意しておいて。死んでから発表してもらおうかしら。」図らずも、その彼女の言葉が実現した。それも、死に追われた急ぎ作業ではなく、納得いくまで時間を掛けた仕事であった。
仕事に対する誇りと厳しさ。未完稿を人の前に出すことを拒否した彼女と、幼い頃から目にしてきた原稿用紙の書き込みの朱色が、私の中で重なる。彼女以外の誰にも、残された鉛筆書きの文字が、彼女にとって何であったのかを知ることはできない。メモなのか。下書きなのか、それとも、ほとんど完成に近いものなのか……。印刷され活字になったものだけが、確かな彼女の作品である。少なくとも、彼女自身が、その時点で最も良しとしてきたものの積み重ねなのだから。 彼女は、言葉を追い続けた。内なるものが、彼女というフィルターを通して外に現れ、彼女はその言葉を通して、人と出会う。言葉が一人一人に呼び掛ける。(「おぼえがき/小谷衣里」より)
目次
夜の祈り――1986~1988
- 夜の祈り
- 無言歌
- 海
- 光の春に
- 一九八八年 復活の焔
- 木漏れ日
- 窓
- お薬師さま――平野威馬雄追悼
- ブイ
- 祈り
- 緋寒桜
- マラソン
- 運命線
- 風の祈り
- 祈り
- 変幻自在
- 突風のなかで
- 炎天
- 白昼・交差点
- 花の便り
- 果樹園
- 寒波のなかで
- 消えない……
- 報告書
こおろぎ――1981~1985
- 大寒の日
- 桜の別れ
- 彼岸の海
- 幻の海
- 葉桜
- 紫陽花
- 藤村墓前祭
- 横浜史跡散策
- 夕映え
- その時
- 閣のドラマ
- 露が光る
- こおろぎ
- 小夜子曼陀羅
- 嵐のあと
- 一九八二年 四旬節
- 光の春
- さようなら
- 一九八四年 夏
- 酷暑
- 花吹雪
- 一九八五年八月
- ありがとう
- 氷壁
平和の巡礼――1971~1983
- 私の愛は……
- 再会・『氷の音』
- 別れ
- さんま哀歌
- 山手カトリック教会へ
- 砂時計
- 春の雪
- 青春の地図
- 祝福のあとに
- 平和の巡礼
- 一九八一年
手塚久子著作目録
あとがき
おぼえがき