1999年3月、岩波書店から刊行された岡井隆(1928~)の評論集。編集協力は鶴見俊輔(1922~2015)と上野千鶴子(1948~)。カバー写真は、森林太郎『うた日記』(春陽堂、1907)、上田敏『海潮音』(日本近代文学館、1974)、齋藤茂吉『赤光』(日本近代文学館、1980)、与謝野晶子『みだれ髪』(日本近代文学館、1968)。
詩を読む人が少なくなったといわれている。いつの時代だって詩歌に親しむ人の数は限られていようが、とりわけ近年はその数が減っているといわれる。特に詩の世界で「戦後詩」とよばれる難解な詩は、敬遠されているという。
これは現代詩に限った話ではない。短歌でも、いわゆる前衛短歌やそれ以前の短歌は、読み方もわからないという人がいる。俳句についても、昭和前期のいわゆる四S(秋桜子、誓子、素十、青畝)や三T(多佳子、鷹女、汀女)とよばれる俳人たちの作品など、ちゃんと読まれているかどうかあやしいのである。
この本で、わたしは、わたしなりのやり方で、詩の読み方について書いた。「日本の五〇年」といえば、戦後五〇年と重なる。二〇世紀後半の五〇年でもある。この時期にわたしが読んだ詩や短歌や俳句のうち、いくつかの例をあげて、できるだけわかり易く、また率直に、わたしの考えを述べた。
初めに置いた「詩を読むという行為について」は、序説であり序論である。自由詩と俳句を例にとって一つの「読み」を示した。
以下の各章は、章というよりも独立した評論であってヽどの章から読んでもよいように書かれている。
難解な詩は、それなりの理由があって難解なのであり、難解であってしかも美しい。ここでは詩歌に関心を持つ一人の読者の立場に立って、そういう難解な詩の解読に挑戦してみた゜
(「はじめに」より)
目次
目次
- はじめに
- 詩を読むという行為について
- 詩の有用性について――わたしたちが詩を読む時
- 難解な詩とわかり易い詩について
- 風景はどう歌われたか――あわせて俳句の読み方について
- 立原道造の一四行詩から谷川俊太郎のソネットまで
- 訳詩を読む
- 吉岡実の詩「犬の肖像」「僧侶」を読む
- 短詩型日記文学の系譜
- さまざまな話題――近代の中の近世。戦争詩歌のこと、など
参考文献
あとがき