坑夫 宮嶋資夫

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 1916年1月、近代思想社から刊行された宮嶋資夫(1886~1951)の長編小説。装幀はアナキストの百瀬晋。1月5日に発売されて1月9日に発禁。序文は堺利彦(1871~1933)と大杉栄(1885~1923)。画像は復刻版(法政大学西田勝研究所/不二出版)。

 

 去年の春頃であつたか、僕が始めて宮嶋君と知つた時には、君は神楽坂の上で古本の夜店を出してゐると聞いた。けれども其の少し以前に、君の事をボテフリの魚屋さんとして聞いてゐたので、暫くの間は、其の方の印象が強く僕の頭に残つてゐた。そして此のボテさんは、僕を訪ねて来るたびに、其の商売柄とは少しも似合はない、ベルグソンの創造的進化論だとか、ラツセルの新方法論だとか、又は文壇思想界の傾向だとか云ふやうな事を、いつも話題として持つて来た。
 しかも其等の話しは、多くの学生さんから聞くやうな、新聞雑誌からの受売話しではなく、君自ら其等の人々の書いたものを読んだ上での、君自身の頭から出た批評であつた。中澤臨川君が何處かで発表したラツセルの紹介などに就いても、随分ひどい攻撃を君から聞いたやうに覚えてゐる。
 僕はいろいろな興味から君の経歴談も聞いて見た、君は、高等小学校を中途でよして、砂糖屋、ラシヤ屋、呉服店の小僧、歯医者の書生、牧場の雇人、メリヤス職工、砲兵工厰の職工、土方、火夫、高利貸鬼権の手代、坑山の事務員、相場師、魚屋の軽子、ボテ、古本屋、そして最後に新聞雑誌記者と云ふやうに、ことし三十になるまでの間に、随分といろいろな職業や土地を放浪して来た。そして君は、此の十六七年間の放浪の間に、可なり遊びもし飲みもしながら、書物も読み、そして主として君自身の生活の経験の上から、今日の君のアナアキステックな思想や感情を築き上げて来た。
 宮嶋君と『坑夫』の主人公石井金次との間には、強烈な生活本能と叛逆本能とを持つてゐる其の気質に於て、甚だしく相似てゐる。又君の放浪の間の行為に於ても、随分と此の金次のそれに似た事が多かつたらうと思はれる。そして此の事は、金次の心理解剖に於て、君が立派に成功した原因だらうと思はれる。しかし君は猶、金次の持たない、或る特性を持つてゐた。それは、君が君自身の強烈な生活本能と叛逆本能とを発揮しつつあつた間に、其の結果に就いての考察を忘れなかつた事である。即ち盲目的行為の間に、同時に又、強烈な知識本能をも働かしてゐた事である。君は実に、信者の如く行為しつつ、懐疑者の如く思索しつつあつたのである。そして此の事は、金次が単なる(と云つても可なりに複雑な心理は持つてゐるのだが)乱暴者として世を終つたのに反して、君が遂にアナアキズムにまで到達した主因だらうと思はれる。且つ其處まで到達しなければ、本當に金次の心持を理解することが出来ないのである。
 坑夫の生活は、宮嶋君の放浪の間の恐らくは最も印象の深かつた生活の一つであり、又此の金次も恐らくは其の間に君の実際に接近した最も印象の深かつた人物の一つであり、そして又此の金次に対しては前述の如く君に十分な同情と理解とがあるべき筈なのだから、此の『坑夫』はどうしても君の傑作の一つでなければならない筈である。のみならず此の『坑夫』は、坑夫の生活と云ふ背景、金次と云ふやうな特殊の人物、そして其の間にいろいろと暗示される現代社会の欠陥等の点に於て、確かに日本の創作界に於ける唯一の産物である。
 
 二三ヶ月前、僕が始めて此の『坑夫』の原稿を読んだ時、僕は其の夜中強い亢奮に襲はれていろいろな事を考へてゐる間に、其の亢奮がゴリキイの大きの作物を読んだ時のそれと同一であつた事を思ひ浮かんだ。宮嶋君の筆致には、ゴリキイ程の、荒削り的な太い強さはない。寧ろ斯くの如き事実の描写には、弱すぎやしないかとも思はれる。又其の発想の仕方に対した独自な点も認められ得ない。しかしゴリキイの初期の作物に現はれて来る一種の叛逆者、習俗や権威に対する盲目的叛逆者の面影は、此の『坑夫』の中に充分に見る事が出来る。若し其の経歴に於ても気質に於ても甚だゴリキイと相似た宮嶋君が、更に努力して、其の放浪の間の諸印象を傾倒して、此種の作物を続けるならば、ゴリキイと等しく盲目的であつても更に多種多様な叛逆者を、そして更に進んでは、ゴリキイの後年の如く、現在に於ける自己及び其の周囲の人々の意識的叛逆も日本人の間から立派に描き出す事が出来ようと思ふ。
 此等の点に於て僕は、宮嶋君の處女作たる此の『坑夫』に非常な興味を持つと共に、更に君の将来に甚だ期待する所が多く且つ大きい。

 

十二月十三日 大杉栄

 

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