1972年11月、冬樹社から刊行された清水昶(1940~2011)の評論集。装幀は三嶋典東(1948~2012)。
荒涼とゆうやけがながれている。濃霧で汚された東京で唯一残されている美しいものはこの荒涼たるゆうやけぐらいのものだろう。いままで首都にもゆうやけがあることにほとんど気がつかなかったが偶然棲みついた高層ビルの一室でわたしはつかの間ではあるが美しく燃える雲のながれがあることを知った。残照をビルの樹林一面に吹きこぼしながらながれてゆくゆうやけを眺めていると、なにかわたしが歩いてきた荒涼たる道を想い起こさせてくれる。およそ華やかさとは縁遠いゆうぐれの道をいままでわたしは歩いてきたような気がする。そして多分これからも多少の暗いユーモアをこめて、ゆうぐれの道を歩いてゆくのだろう。
ここに収めた文章のほとんどは二〇代の中半から後半にかけて書き繋いだものであり、わたしのゆうぐれの途上での体験的エッセイとも呼ばれてしかるべきものである。ある一時期、わたしはぱげしい自己不信と自己嫌悪の念に悩まされ続けたが、そのような闇のなかに消えてゆきそうなわたしの存在をかろうじて切り拓いてくれたのは石原吉郎や大野新といった自我への執着を手ばなさぬ詩人たちの詩と思想であった。わたしは唐突に彼らと出会い寒くふるえながらもその衝撃をバネにしてみずからの存在を愛撫するかのように詩と文章を書きはじめていた。この世も不信に満ちてはいるが何人かの苦闘する精神に照らされた他者の明晰な存在は、わたしに生きようとする勇気をあたえてくれたといっても過言ではない。だからわたしはある種の存在の痛みを伴った詩と思想にしか魅かれないし、わたしもそのような詩と散文しか書けなくなっている。論理とはその底に肉声を秘めているべきであり、詩とは痛みを秘めた永遠なる官能でなければならぬ。そして体験とは体験を深く潜ることによってあらわれてくる未来であるべきだろう。
ただし、現在のわたしにことさら「未来」が見えてきているわけでもない。この世に対する失意は日々深まりを見せつつあるし、わたしのなかの失意は単独にわたし自身に関わるだけなのだ。この世からの不本意に締め出されないためにも、わたしはわたし自身を告発し続げるだろう。書くことによってみずからの存在を明視の只中に見張り続けてゆくだろう。そして、わが生の一回性はまた来たるべき新鮮な世界の獲得を攻撃的に目指すためにも現代のゆうぐれの底でさらに疼き続けるに違いないのだ。(「ゆうぐれの道――あとがきにかえて」より)
序詩 暗夜への旅 `
第一部 詩論
- 詩の辺境
- 山岳民族の末裔
- 精神の廃家
- 幻覚の地方
- 求道としての詩
- 死へ反動化する時代の詩
第二部 詩人論
- サンチョパンサの帰郷〈石原吉郎論〉
- 死闘の伝説〈石原吉郎論〉
- 真夜中の大地〈石原吉郎氏への手紙〉
- 死のうえをはだしで歩く詩人〈大野新論〉
- 不信のふるさと〈永島卓論〉
- 海と料理人〈永井善次郎ノート〉
- 猟犬の研究〈渡辺武信について〉
- 血と義足の倫理〈丹野文夫について〉
第三部 書評
- 『永山一郎全集』
- 寺山修司『思想への望郷』
- 森万紀子『密約』
- 『岸上大作全集』
- 松永伍一『一揆論』
- 内村剛介『ソルジェニツィン・ノート』
- 桶谷秀昭『凝視と彷徨』
- 大岡信『言葉の出現』
- 『松永伍一著作集』
- 現代文学の発見1『最初の衝撃』
- 吉本隆明対談集『どこに思想の根拠をおくか』
第四部 情況のなかで
- 絶望への逃走〈「ヴァニシング・ポイソト」とは何か〉
- 破滅の美について〈わが暗鬱な映画館より〉
- 映画「地の群れ」
- 詩の荒野
- 黒田喜夫「彼岸と主体」について
- 眼には眼を!言語には言語を!
- 魂の旋律
- 苦闘のゆくえ
- 黒田三郎について
- 血と土地の詩人たち
- 高橋秀一郎氏への手紙
- O氏の肖像
- 倒立したユーモア
- 石廊崎にて
- 竪穴式原住民の独白
- 記憶を掘る
- 墟
- 帆船
- 赤い日傘
ゆうぐれの道 〈あとがきにかえて〉
初犒発表書誌