1938(昭和13)年12月、竹村書房から刊行された真杉静枝(1901~1955)の第1著作。序文は坂口安吾(1906~1955)、跋文は岡田禎子(1902~1990)。
私は眞杉さんとお友達になつてこのかた、眞杉靜枝といふ特殊な性格を意識することが殆んどなかつた。さうして名前を沒した、女そのものの性格(むしろ心情)を見てゐる思ひがするのであつた。
平安朝の物語の中の女達。彼女達も各々の名前はあるのであるが、各々の特殊な性格はないのである。彼女達は身も世もあらぬ戀に泣き、ときに靜かな無情をさとり、また四たび五たび、昔に變らぬ身も世もあらぬ戀に苦しむ。ただ女そのものの心情の世界が、生き、愛し、歎いてゐる。
眞杉さんの文章にも、殆んど特殊な性格はなく、古い物語の女達の、あの心情の世界のみが、ひたむきに語られてゐる。
私はこの謙遜な日本の夫人が、愼み深く能を語り、繪を語り、古典の物語を語り、また音樂や芝居に就いて語るのをきくたびに、この心情の教養の正しい深さに驚くのだつた。この人にとつては、それらの教養が知識でもなく、衣裝でもない。古い物語の女達の類ひ稀な教養が、思想の形で現れずに、あげて心情の聲となり、あるひは三十一文字の歎き悲しむ花の言葉となつたやうに、眞杉さんの教養も、ただ心情の糧となつて、形を沒するにすぎないのだつた。この人に、かくて生きてゐるものは、かうして育つた心情の姿があるのみなのである。思想とか知性といふものを、思想や知性の原形で、この人のうちに求めることは間違ひであらう。
眞杉さんの小説は、この純粹な心情が、過酷な現世に突き當つて、事々に戸まどひながら、生きぬけて行く記録であるが、戸まどひながらとにかく切りぬけて行くたびに、讀者は自らの安堵を感じ、生きることの切ない喜びに共々ひたらずにゐられまい。昭和十三年十二月十五日 坂口安吾
目次
- 南海の記憶
- 父の心
- 芽
- ある作家の死
- 土蔵の二階
- 南方の墓
跋文 岡田禎子
書評等