1983年2月、誠文堂新光社から刊行された朝倉勇(1931~)の第4詩集。1980年、歴程社から刊行された元版に19日分を追加。装幀は柳町恒彦と大塚雅子。
パリのまん中を流れているのはセーヌ川。ロンドンはテームズ川、ニューヨークはハドソン川、ローマはテヴェレ川というように、都市を思うとそこを流れる川のことが思いうかびます。そして東京は隅田川というべきでしょうか。
しかし、ぼくにとってなじみのあるのは神田川です。文京区大塚にあった住まいから、銀座にある事務所に通う地下鉄丸の内線電車は、お茶ノ水駅と淡路町駅の間で神田川を渡ります。毎日のようにこの川を渡っていながら、「ある日」以前は、とくに気にもとめませんでした。
ある日――それは一九七五年十月三十一日なのですが――地下鉄電車の窓からふとみた神田川をメモしていました。次の日もたいした意識もなくメモし、こんなふうに三、四日がすぎると、そのままメモをつづけてみたいと思うようになりました。
ほんとうは、短かい詩が書けたらと考えたのだと思います。例のアポリネールの詩「ミラボー橋」は、そのことばも曲も心の奥に住んでいて、折にふれて浮かびあがってくるのでしたから。
しかし、詩を書くという精神の力学的な作業は、容易なことではありません。それよりもまず、次第に愛着のましてゆく神田川とぼくとのかかわりを、毎日メモしておこうと考えました。一年あまりにわたるその記録が、この一冊です。
メモについて考えたことは、いわばカメラを向けてシャッターをひとコマ押す、とでもいうような方法です。目に映ったものを、なるべくすばおに言葉に置きかえること。それが行分けで書くという点で、詩のようなスタイルになるかもしれない、そんな感じでした。
電車は、六、七秒間で鉄橋を渡ります。その間にぼくの目にとびこんでくる神田川のありさま、それがぼくに感じさせるなにかを、上り電車ならば銀座駅、下り電車ならば新大塚駅でおりるまでにメモしておくこと。わずかを除いて、この範囲で書くことをつづけました。
川を見るのはあきませんでした。川との出会いが期待にふくらんで、友達に逢うときのような気持になることが多くありました。考えごとをしているときもあり、ぼんやりしていることもあり、本を読んでいるときもあり、川の反応はそれぞれでした。そして、この記録が一年をこえたある日、ジャン・ギャバンというぼくの好きな俳優の訃報に接しました。
その日の記録でこの作業は終っています。
(「覚書」より)
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