1987年8月、風琳堂から刊行された北川透(1935~)の対談集。装幀は杉浦イッコウ(1946~)。
わたしが詩のジャーナリズムで、最初に鼎談の機会を与えられたのは、いまからちょうど二十年ほど前だった。しかし、この鼎談において、わたしの発言は対話者の一人の怒りを買い、席上、険悪な雰囲気ができてしまった。しかも、活字になる段階で、彼が自分の発言を一方的にけずったため、鼎談のかなりの部分が成り立たないことになった。むろん、自分の責任ということも含め、これはたいへん後味が悪かったので、わたしは自信をなくしてしまい、また、対談や鼎談という表現の形式に懐疑的にならざるをえなかった。だから、その後、六、七年は、お呼びがあっても断り続けた。
しかし、一九七三年十二月に日本読書新聞から、桶谷秀昭さんと北村透谷について対談をしないかという話があった時、対談そのものよりも、初めて桶谷さんと会える喜びに、例外のつもりで上京したのだった。翌年になると、今度は「現代詩手帖」編集部から、佐々木幹郎さんが対談したいと言っているがどうか、と伝えてきた。京都から東京に居を移してからの佐々木さんとは会う機会がなくなっていたので、久しぶりに彼の声を聞きたいという思いが募り、引き受けることにした。桶谷さんや佐々木さんは、わたしが個人的な意味でも会いたい人だったとはいえ、二度もこうした対談が続けば、もう例外というわけにはいかず、以後は断る理由を失った。
わたしは自分からすすんで人に会わないという億劫な性格と、地方に住んでいる関係もあって、個人的に知っている文学者や詩人が少ない。だから対談や鼎談でお会いする方とは初対面の場合が多い。敬愛や信頼はしていても、作品や文章でしか知らないのだから、こういう機会を通じて直接に意見が聞けたり、教えてもらえるのはありがたいことだった。しかし、何かというと貧しい自分を主張したがるわたしは、たぶん、あまりいい対談者ではない。あらためて読み直してみて、相手を勤めてくださった方の寛容さや懐の深さにずいぶん救われている、と思う。これらの対話を通じて、わたしはいつも相手から知的な興奮や刺激を与えられ、楽しい緊張感を味おったが、そうしているうちに、以前にあった対談という表現形式へのこだわりもうすれていった。
これまでわたしは対談よりも、鼎談の機会に多く恵まれた。ここにはその中から活字になった対談のすべてと鼎談がひとつ収められている。風琳堂の福住展人さんが、この企画を持ってこられたのはかなり前のことだが、わたしにはまったく無謀に思われた。必ずしもひとつのテーマを巡っているとは言えない、こうした長い年月から集められた対談集が、読者に受入れられるかどうか、わたしに危ぶむ気持ちがあったから、消極的にならざるをえなかったのである。
しかし、福住さんの熱心さと、わたしの相手を勤めて下さった方々の発言やその思想の魅力を考えれば、お断りする理由はなかった。この本は何よりも福住さんの不思議な情熱によって生まれたことを言っておきたい。福住さん、ありがとう。あなたの情熱にこの書がふさわしいだけの価値があってほしい、そして、一人でも多くの読者の手に渡ってほしい、と願っています。
(「あとがき」より)
目次
未完了としての詩 佐々木幹郎
- 書く意味の自覚
- 退くことと技術
- 詩の原理と批評の原理
- 詩と批評における未完了性
- 批評の言語の根拠
- 異質なるものとの接点と理解
- 対愛山論争
- 恐るべき言語の達成――『楚囚之詩』『蓬莱曲』
- 透谷の「内部生命」
- 最初にして最後の砦――『あんかるわ』
近代詩と二元論――萩原朔太郎から六〇年代詩まで 月村敏行
- 朔太郎の読者・中也の読者
- 「やくざな心」の世代
- 朔太郎へのアプローチ
- ニ元論のなかの骨格
- 霊と肉の二重性
- 戦後における二元論の骨格
- 「日本」というものはない……
- 幻としての六〇年代詩
- 複合性・二重性の消滅
- 所与としての六〇年安保闘争
- 二元論の蜜月のおわり
- 飯島耕一の朔太郎論
- 絶対的近代とはなにか
中原中也の世界 秋山駿
「風土の声」――故郷をめぐって 清水昶
詩の技術とは何か 入沢康夫
- 同時代の眼の愚かさ
- 再検討・発展の試みの不在
- ”70年代の新鋭”における批評の欠如
- ”技術”の位置
- 技術が詩にするのではない
- 仮構というもの
- 詩の”物語性”について
- ”詩”という枠組
- 詩の〈伝達〉
- 普遍的な倫理性
- 黒田三郎の異質性
- 詩人と権力
- 「市民生活」からの眼
- 「荒地」の転回
- 詩の存在理由
- 詩の土台としての「文明観」
- 詩の存在理由
- 一貫する思想的モチーフ
- 「戦中派」はあるのか
- 現在が引き受ける問題
- 難解詩とは
詩の現在とマス・カルチヤー 鮎川信夫
- 詩を書くことと時代の位相
- 平均化をどう評価するか
- 詩の普遍性とマイナー性
日本イデオロギーは越えられるか 松岡俊吉
- 戦争体験の伝達性
- 生活の原理と「荒地」
- 文学者の「反核声明」
- 〈固有時〉と宿命と沈黙
- 風土からの呪縛と半風土
- 〈固有時〉から〈転位〉の過程
- 拒絶された思想の覚醒
- 死者の構造からの転倒
- ブラックホールと解体
- なぜ〈現在〉なのか
- 〈現在〉とどう関わるか
- 詩史と詩人の批評軸
- アングラとクラックの重層
詩の共同について 岡井隆
- 前口上
- 現代詩の解体
- 戦後史と戦後詩
- 定型詩のシェルター
- 菊屋まつり(詩のパフォーマンス)
- 共同詩について
エピローグ
(共同詩実験)
北川透*岡井隆を模写する二篇
岡井隆*北川透氏の『魔女的機械』(弓立社版。昭和五十八年五月三十日開板)に収める「魔女的機械」他に唱和する三十一音詩によるカノン(断片)
北川透*歌と詩の性転換
岡井隆*羞恥の衣服
詩と時代の水際へ 瀬尾育生
あとがき
NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索