1976年7月、書肆季節社から刊行された衣更着信(1920~2004)の第2詩集。装幀は政田岑生(1936~1994)。
わたしは詩集を出すのが大変おそくて、「衣更着信詩集」(思潮社)は昭和四十三年であった。この「庚申その他の詩」は、それに続く二冊目である。
本書の刊行について書肆季節社の政田岑生氏から話があったとき、「衣更着信詩集」の前後の作品、特に前のものを入れたいと要望された。アイデアの出所は政田氏と親しい桑島玄二氏であったと推測される。この元「Menu」編集者は若年時のわたしの詩をいくつか憶えており、おそらく誇大にいいふらしたのであろう。したがって、この本にはいわゆる初期詩篇もはいることになった。四行詩のほとんどはそれであり、また「名古屋市・一九四一年夏」と「戦時の真昼」も古いほうである。
〈中略〉
さて、詩がどのようにできるかを考えようとしてみた。「自作を語る」ことは既にたいていの詩人が試みているだろう。ノートの公開という形で、写真を入れた企てもあった。
スティーヴン・スペンダーの「一篇の詩ができるまで」という論文は、荒地出版社版の邦訳にして二十五ページもある。しかし、詩人たちはほんとうに自作の秘密を語り尽し得ているだろうか? いくら努めてみても、自分でもとらえられない部分がまだ残るはずである。少年のとき、わたしは川へ釣に行き、土手のやぶから糸を垂れていた。午前の太陽が正面から照らしていた。そのとき、この世のものとも思えぬ美しい光りものが、竿と水のあいだを流れるように移動するのを見てわたしは息をのんだ。幻でも見たかと思うその美しい光はまたもどって来た。それは陽を受けて飛ぶかわせみだった。かわせみは漢字では翡翠と書くようだが、小鳥のほうが宝石よりも美しいとわたしは信じた。
けれども、わたしはこの大感激を受けた飛翔をまだ詩に書いていない。なぜ? このこともまたわたしには説明できない。
詩は詩人のどの体験、どの感動から生れるのか、努力しても説明できない秘密が残るといったが、この秘密をどれほど残しているかが、詩人の未来を占うかぎではないだろうか? そして。その秘密をさぐり続けるのが、詩人の宿命でありつとめであるのではないか。(「あとがき」より)
目次
- 庚申
- 四国第八十八番霊場大窪寺
- 名古屋市・一九四一年夏
- 戦時の真昼
- 二つのカトラン そのⅠ
- 二つのカトラン そのⅡ
- 二つのカトラン そのⅢ
- 二つのカトラン そのⅣ
- 二つのカトラン そのⅤ
- 二つのカトラン そのⅥ
- 夏の目
- 真夏
- 船三態
- 海のいじわる
- ひとりぽっちの泳ぎ手
- 海の思い出
- Goose-skin
- 夏の終り
- 沖へ
- 絶望
- 海の中
- 震盪
- 太った恋人たち
- 車内
- 小さな町の日曜日
- You're Trapped
- 静かな町
- 無菌
- 音楽
- 頭のなかの絵
- 死んでいるキングサイズ
- 目は見ることを欲しない
- 詩人の商売
- Dull Business
- Fallen into a Sleep
- Summer Suprised Us
- 表紙
- ノイローゼ患者が尋ねたこと
- Check-out
- カボチャ・パッチの月
- 雨らしい
- 内気な若者
あとがき