マチネ・ポエティク詩集 福永武彦 加藤周一 原條あき子 中西哲吉 窪田啓作 白井健三郎 枝野和夫 中村真一郎

f:id:bookface:20171010233539j:plainf:id:bookface:20171010233548j:plain

 1981年1月、思潮社から復刊された「マチネ・ポエティク詩集」。著者代表は中村真一郎(1918~1997)。

 

 ここに復刊された『マチネ・ポエティク詩集』は、一九四八年(昭和二十三年)七月一日を発行日として、東京の溜池にあった真善美社から出版されたものである。限定七五〇部番号入り、目次とも一七四ページの本フランス仕立だが、本文には特漉の和紙を用い、これを十二折という特殊な折り方で正方形に近い小型本にし、天と地と小口の三方がアンカットの袋になっていた。このような瀟洒な造本と言い、表紙に印刷された花模様と言い、さらにはフランス語の表題と言い、いまの目から見ればいかにも趣味的に気取った本のように思われかねないし、また事実ある意味ではそのとおりでもあるのだが、別の意味ではこれは実に過激な、時流に挑戦する大胆さと泥くささをもった書物でもあった。というのも、ここに収録された作品はことごとく、日本語による押韻定型詩だったからである。
マチネ・ポエティク」は集団の名であり、その命名者は同人の一人だった福永武彦だそうである。《福永はこの会の名付親としての名誉を要求している。これは醜聞の種子になった会の名付親だと誇らかに言う福永の度胸も見上げたものである。[……]福永説によれば、この名前はジャック・コポーの劇場で、公演のはじまる前の昼の時間に、詩の朗読会を行い、それを「マチネ・ポエチック」と称しているので、それに因んだということである》と、同じく同人の一人だった中村真一郎が『戦後文学の回想』で書いている。同人の集団詩集として戦後の詩史に名高いのは一九五一年から年刊として出始めた『荒地詩集』だが、『マチネ・ポエティク詩集』はそれに先がけた存在だった。
 命名の趣旨どおり、この集団は当時の文学青年たちによる、月一回の朗読会だった。朗読会と言ってもいわゆるサロンとは違うし、近頃よく詩人たちによって開催されるような、雰囲気のよい店を借り切り、飲み物を出し、席料をとって聴衆を集める催しとも違う。戦争がひどくなり、言論統制がきびしくなって、出版統合が同人雑誌にまで及び、とうとう雑誌が出せなくなってしまったとき、それでもなお作品を書こうとする者たちが唯一の発表手段として仲間うちで朗読をし合う、という会だった。
(「解題/安藤元雄」より)


目次

序 詩の革命

作品

福永武彦

加藤周一

  • 四つの四行詩
  • 雨と風
  • さくら横ちよう
  • 妹に
  •  I
  •  Ⅱ
  •  Ⅲ
  • 詩法
  •  I
  •  Ⅱ
  • 愛の歌
  •  I
  •  Ⅱ
  •  Ⅲ

原條あき子

  • 頌歌
  • 望郷
  • 春の歌
  • 秋の歌
  • 夜の歌

中西哲

窪田啓作

  • SONNETⅠ
  • SONNETⅡ
  • SONNETⅢ
  • SONNETⅣ
  • SONNETⅦ
  • SONNETⅧ
  • SONNETⅨ
  • SONNETⅩ――白鳥
  • SONNETⅪ
  • SONNETXIII
  • 水のほとりに

白井健三

  • 夜の祈り

枝野和夫

  • 果樹園
  • 海の道
  • 降誕祭
  • 傷心

中村真一郎

  • 愛の歌(断章)
  • 「炎」(一九四三年)より
  • Ⅱ朝の風
  • Ⅶ真昼の乙女たち
  • Ⅸ夏野の樹
  • 「頌歌」(一九四三年)より
  • 西王母に捧げるオード

NOTES

解題・安藤元雄

 

NDLで検索する
Amazonで検索する
日本の古本屋で検索する
ヤフオクで検索する