ノスタルジック・ポエジー 戦後の詩人たち 岡本勝人

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 2000年4月、小沢書店から刊行された岡本勝人(1954~)の詩人論集。表紙は三田村和男(1943~)「ある土曜日の朝」。

 

 今日の社会の暗澹たる姿は、経済だけでなく、構造的に社会をささえてきた近代的システムの枠組みの終焉であるといわれている。
 柄谷行人は、『終焉をめぐって』のなかで、この生き物である経済を六十年周期として反復説を唱えている。確かに乃木将軍の殉死と三島由紀夫の自決もそうであるが、大正的なものは七〇年代以降の日本に比較されるし、昭和初期の経済恐慌の姿は、現代とアナロジーに映っている。これらを隔てている時間は、約六十年である。しかし、生き物である社会や経済や戦争のなかに生きる個人は、いつの時代にあっても限界を感じたひとりの人間の生を生きている。
 詩人とは、この限りなく限界をもった人間のひとりひとりの生の立場から出発するものであろう。
 かつて詩人には、歌があった。歌をうたうこと、そこに詩が成立していたのである。
 しかし、残念なことに、日本の詩歌に携わる人々は、三百万人の自国の死者と二千万人のアジアの死者と関わる戦争を讃美する側に生きたのである。高村光太郎三好達治も同じであった。中国の漢詩人にも、またフランスのレジスタンス運動にも、このような歴史はなかった。歌をうたうことが戦争讃美となった日本の詩歌にとって、中野重治の詩「歌」とは、なんであったか。〈おまえは歌うな/お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな/風のささやきや女の髪の毛の匂ひを歌うな〉そして歌うものは、〈もっぱら正直のところを/腹の足しになるところを/胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところへ歌へ〉という中野重治の自省しつつ詩を書く姿には、時代の状況にしいられた苦汁の色が見える。
 戦後詩の困難さは、そうした背景のなかで、人間の生の自信をいかに取り戻すかにあった。戦後詩は、かつてない表現の自由と多様性を獲得した。近代を具現するために、進歩という戦後の時代の流れは、戦前的なるものを反近代とし、忌避するべきものにした。戦後に残存する歴史的なるものに目をふさぐことが主眼であり、そこには人間の根源性や原初性を言葉との関連で考察しえない状況があった。加藤典洋の『敗戦後論』の言葉によれば、ここに「ねじれ」現象が生まれたのである。戦後詩とは、この歌をうたうことによって成立した詩歌が、歌をうたう対象や行為を拒絶することによって成立したものである。
 鮎川信夫は、「近代詩から現代詩への移りかわりは、おおまかにいって歌う詩から考える詩への転換であった」とし、「歌う詩と考える詩の平行、対立、葛藤のうちに、これからの現代詩の重要な課題があり、この地点から新しい抒情詩の可能性が探求されてゆくようにおもいます」と戦後詩のメルクマールを見ている。
 この「歌う詩」から「考える詩」への転換は、現代詩人のかかえるひとつのアポリア(難問)であった。社会や経済は生き物であり、そのなかに生きるひとりひとりの人間の内面の側に立つ詩人の感性は、今もむかしも同じように困難さをひきうけている。時が移り、時代や社会が変わっても、詩人は自らのアイデンティティをかろうじて保っている。社会のなかでは、個としての詩人は、小さい存在である。ましてや歌を忘れ、歌をうたうことを拒絶した詩人とは何であろうか。かつて拒絶の思想には、大きくて重い意味があった。しかし、現在は、うたわない詩人による詩の形相だけがある。それは、素朴な夢と風雅な夢を失ったニヒリズムの歌というべきものである。詩は、その生まれたときからそうであったのかも知れないが、時代のなかで孤立しているのだ。
 こうしたニヒリズムの力動性にむかう志向は、人間の知による精神の開拓をはたしたのである。いっぽうで、伝統的な美や浪漫性にたいする変質を戦後詩人にししてしる。
 この二つのものは、詩の深さとして河の底で通底しているのだが、詩人たちは、歴史や伝統や自然をうたうとき、その精神の測鉛をおそるおそる降ろすことになった。
 人生の道に迷いつづけていた頃、一年に一作の評論を書していた。これらの「荒地」の詩人たちは、戦後の状況のなかでひとりひとりの固有の歌をうたっている。「わたし」としての歌をいかにうたうか。彼等は同じ文学の磁場にいながら、ひとりひとり異なった詩を書いたのである。おもしろいことに戦後五十年をへた現代から見つめると、早く亡くなった「荒地」の詩人は別として、長く詩をかきつづけた「荒地」の詩人たちの晩年の詩法と言葉には、人間の原初性と言葉の問題に接近している様子が見て取れる。ここに風雅の一筋を見ることができるが、従来の「荒地」の評価と異なる像を見ることになる。戦前の反近代の残存ではなく、それは相対的な視点から見られた「ねじれ」の現象として理解することができるだろう。
 意識するとしないとにかかわらず、これらの言語表出には、「青春」や「戦争体験」や「故郷喪失」や「市民生活」へのノスタルジーに彩られている。現代社会にとって、ノスタルジーとは、タルコフスキーの映画ではないが、故郷や歴史性との関係である。人生のさまざまな体験にたいする了解とは、自己の歩んできた過去との共生をめざすことである。その歴史意識は、関係性としての精神と身体の空間的な旅ともかかおりあいながら、螺旋状に蓄積される。名のない世界(無記)を名のある世界とする。バシュラールになぞらえれば、地・水・火・風と同じように、詩における言葉こそ、人間にとってのホルモンである。精神の深部をたどり、原初的な世界を知るのも、言葉によって可能である。戦後の抒情の歌がどこまで根源に根差しているかは、言葉と存在との関係が、感性と身体によって本質へといかにだどれるかの函数に見る。ここには、五十年の歳月の経過によってもたらされた心性の問題があった。文学は、内面性という内包(intension)に本質があるのだ。
 本書は、戦後のモダニズムから出発した「荒地」の詩人たちを中心に、戦後の詩人論を中心に収めている。対象とする詩人は、敬愛する方々である。戦後的状況から生まれたこれらの詩人の詩は、五十年以上も経過した時間の流れのなかで、ひとつひとつが輝いている。それは、「ノスタルジック・ポエジー」といえるものである。
(「あとがき」より)

 

目次

あとがき

 

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