詩魔に憑かれて―犀星の甥・小畠貞一の生涯と作品 森勲夫

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 2010年10月、橋本確文堂から刊行された森勲夫(1939~)による室生犀星の年上の甥、小畠貞一(1881~1942)の評伝。

 

 詩人小畠貞一(こばたけていいち)本名悌一は、室生犀星の甥(犀星の異母兄小畠生種の長男で、犀星より一歳年上)として知られ、大正期以降「日本詩人」などの詩誌に作品を発表したが、その初の作品集は満四十四歳になって上梓した詩集『初餐四十四』(昭7・4)であった。
 萩原朔太郎はこの詩集の「序」で、貞一の詩境には「閑寂の中にも風雅を楽しみ、人生の物佗しさを嘆(かこ)つやうな、東洋的静観の或る心境」が感じられると述べている。この評言は詩集の特色をよく表しているが、貞一白身は「後記」で、「厭世的」になることもあった若き日を回顧し、四十四歳の心境を「われ不惑に及んで尚は詩魔に憑かれ、人生蹉跌の悲事多し」と記している。
 また、詩集回頭には「半生」と題して「ひねもす/魚ほつれず/日ぐれごろ/手長えびひとっかかりぬ。」という短詩が置かれているが、この控えめな表現からは、それまで自身の「半生」について多くを語らなかった、貞一の謙虚な性情も読み取れる。
 貞一は出身校の記録をはじめ、自らの履歴に関するものをほとんど残そうとしなかったという、また、折々の思考や心情を語ったような随筆類も少ない。その中で、直截に思いを吐露しているのは、作品集の「後記」である。
 貞一の第二の作品集は、没後に刊行された詩句集『山海詩抄』(昭18・1)である。死の直前に記した「後記」でも、貞一は詩作を「棘の路の隠れ家」であったとして、「この終生で、ただ一つでもよいから佳い詩句を遺して死にたいと念じてゐる」と言う。また、「跋」を寄せた犀星は、「小畠君の才能」には「出かかつてゐながら出きらないものがある」と言って、「文学の畑」」筋に生きることのできなかった貞一を惜しんでいる。「詩魔に憑かれ」、「棘の路」を歩んだという貞一の生涯と詩作の跡をたどってみたい、それはまた、互いのよき理解者であった貞一と犀星の交友について認識を深める機会になるのではないかという思いが、本書執筆の動機となった。
(「はじめに」より)

 

目次

はじめに

  • 小畠生種の富山県在勤時代
  • 小畠貞一の生涯と作品―互いの理解者室生犀星との交友
  •  一  生い立ちについて
  •  二  犀星との出会い
  •  三  「狂庵」から「六角堂」ヘ
  •  四  「詩人貞一」の誕生
  •  五  犀星を追って
  •  六  それぞれの結婚
  •  七  中央詩壇へ
  •  八  犀星との親交
  •  九  荊棘の路
  •  十  『初餐四十四』
  •  十一 貞一の死と犀星
  •  十二 『山海詩抄』
  • 小畠貞一の見た若き日の犀星
  • 室生犀星の描いた貞一像――貞一をモデルにした作中人物

小畠貞一の作品発表誌紙
小畠貞一 略年譜
小畠貞一の詩 五〇選

あとがき


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