入沢康夫の詩の世界 野村喜和夫・城戸朱理編

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 1998年4月、邑書林から刊行された入沢康夫(1931~)作品の解説書。装幀は島田牙城。編集は『入沢康夫の詩の世界』刊行委員会。編者代表は野村喜和夫城戸朱理

 

 ここにようやく、『入沢康夫の詩の世界』を公刊する運びとなりました。といいますのも、当初は入沢康夫氏の新詩集『漂ふ舟』とリンクするかたちで、一九九五年春の刊行をめざしていたのですが(本書に収録の諸論考中、陰に陽に『漂ふ舟』への言及が多いのはそのためです)、諸般の事情からそれが大幅に遅れてしまったのです。執筆者をはじめ多くの方にご迷惑をおかけしてしまいました。とりわけ、刊行を楽しみにされていた入沢氏ご自身にはどれほどの落胆を与えたことでしょう。もともと本書は、氏を敬愛して集まってきた若手の詩人たち数名によって発案されたものだったのですから。
 しかし、それでもこの遅延はまったくのマイナスともいえません。昨年(一九九六年)末に、『入澤康夫〈詩〉集成』上下二巻が青土社より同時刊行され、つまり今度はそれとリンクするかたちでの本書のありかたが可能となったように思えるからです。『漂ふ舟』一巻よりは全詩集にリンクできる方が幸運であり豊かであるに決まっています。読者はどうか、『入澤康夫〈詩〉集成』とこの『入沢康夫の詩の世界』とを併せ読まれますように。
 否、現代詩の最奥部といってよい入沢ワールドに踏み入るのに、早いも遅いもなく、リンクだの幸運だのといった余裕もないとしたものでしょう。今日、詩はかつてないほどの危機にさらされています。大衆社会、情報化社会の進行するにつれて、詩はすっかり退化かローカル化し平準化してしまいました。いまや、あってないような漠然としたフォーマットにそって誰でも詩を書くことができ、それをパーソナルな場で通信し合うことができますが、それだけのことです。他の誰も見向いてはくれません。そうしたなかで入沢作品を読むことの意義は、きわめて単純に、こんなわけのわからない凄い詩を書いた、そして書きつつある詩人がいるのだという驚きの念にあらためて打たれることでしょう。詩とは何かという問いが、果敢に、それこそ詩の存立基盤が危うくなるぎりぎりのところで追い求められていることに、われわれは素直に驚かなければならないのです。入沢康夫と詩的表象の地平。同時にしかし、そうした追求を通じてたえず響いてくる〈うた〉、詩についてのあらゆる問いやあらゆるもっともらしい答え(事実、それらに惹かれて入沢作品を知へと回収する動きが跡を絶ちません)のあとに露頭するある根源的な〈うた〉のようなものに、さらに深く打たれなければならないのです。
(「あとがき」より)


目次

I 詩――入沢康夫氏の方へ

Ⅱ オマージュ

Ⅲ 対話

Ⅳ 論考
i〈詩〉の生成

  • 散文センター  野村喜和夫
  • 必敗の戦場  生野毅
  • 詩と論理のあいだ  浜田優
  • 錆としての詩  永原孝道
  • その季節は終わったのか  陣野俊史

ii〈舟〉のゆくえ

iii架空のオペラ

  • 珠の中の火  野崎歓
  • 入沢康夫私論  大西時夫
  • 神話/移動/接続  田野倉康一
  • 「さみなしにあわれ」の構造  吉田文憲

Ⅴ 年譜・書誌

あとがき  野村喜和夫


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