雪やまず 八木忠栄句集

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 2001年10月、書肆山田から刊行された八木忠栄(1941~)の句集。挿画は若林奮(1936~2003)。

 

 友人井川博年に誘われて、初めて余白句会に参加したのが一九九二年九月。以後、句会のあるなしにかかわらず我流で俳句を作りつづけている。これまで何句たまったか数えてもみないが、毎月およそ五〇句前後作る。駄句の山である。余白句会はほとんど詩人ばかりで、年に三回程度の開催。詩は個人作業だが、句会という共有した時間のなかに俳句をもちこんで、ワイワイやるのはじつに楽しい。真剣に遊ぶ。師匠小沢信男さんに教わる精神など誰ももちあわせていないし、小沢さんも見おろすような指導はしない。いわば俳句のシロウトの集まりだから、よけいな気遣いも野心もない。遠慮なく毀誉褒貶しあって楽しむ。
 私は中学・高校時代に俳句や短歌を作り、新聞や雑誌に投稿した経験は少しばかりあったけれど、大学に入ってやめてしまった。二〇代のなかば頃、西東三鬼の俳句に出会って、俳句のもつ力、恐ろしさに大きな衝撃を受けたが、作りはしなかった。詩だけはつづけてきた。
 詩人が俳句を作ることに対してさまざまな意見がある。それに対する私見は何回も書いたので、くり返さないが、正直なところ自分でもよくわからない。俳優小沢昭一さんの言葉を引用させていただく。「俳句は仕事とちがって楽しいのです。けれども、俳句を仕事にしている人は、それはまた大変でしょう。私は仕事じゃありませんから……。遊び半分どころか、遊び全部ですから真底楽しいのです」(『句あれば楽あり』)
 こむずかしい言辞を弄するよりは、右の率直な言葉に私の考え方もほぼ重なる。そう、詩とは別の楽しさが俳句にはある。句会には、勉強というより遊びの気分でいそいそと出かける。しかし、いい加減な気持ちで臨むわげではないI自分なりに真剣である。俳句は楽しい遊びではあるが、ますますむずかしい。容易ではない。楽あれど苦も十分に伴なう。じゃあ、よすか。いや、また指を折る。
 私は今年で六〇歳になった。まあ、人生の一区切り。小さなしるしをそっとかたちにしておくのも悪くはないか。これまで詩集は一〇冊ほどまとめたが、いつからか句集を一冊もちたいとひそかに考えはじめていた。遊びのささやかな一束。
 個人誌「いちばん寒い場所」を中心に発表した俳句は五五〇句近いが、二七〇句にしぼった。
(「あとがき」より)

 

 

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