1980年12月、芳林社から刊行された児玉惇(1930~1979)の遺稿集。平凡社社員。「太陽」創刊部員。
四十歳に近くなって、このような小冊子を活字にする気持になった。あまりの貧しさ、拙なさに、未だそこばくの差恥や顔のほてる思いはあるし、何よりも昔の嫌な自分と対面するにがにがしさに堪えがたいのだが、しかし、そうした気持もさして苦にらぬ齢に近づいたようだ。いずれにせよ、私は一個のマイナー・ポエットに過ぎなかった。そのことを自虐でもなく、衒気のゆえでもなく、私はこの小詩集によって素直に宣わざるを得ない。そう思うと、寂しくなる。男子生を享けて、ただのこればかりか、と思わざるを得ないからだ。そんな時、ヴェランダに無心に咲く鉢栽えの花をいつまでもじっと見入っている私である。
けれども、敢えて言うならば、私がこのようなものを私刊する気になった理由は、二つある。
ラテンの言葉に「友情の務めが果されるためには共に何斗もの塩を食わねばならぬ」という箴言があるというが、これまでの放恣な、わがままな生活の中で、それら共に「塩」を食い合った人々へ、心からなる謝意をこめて、先ず私はこの小冊子を贈りたい。それらの「塩」なしに、現在の私はあり得なかった。
まもなく私は死ぬだろう。娘は生い立って、ふたたび類似の苦しみや悲しみをなめるだろう。生とは自他ともに涙多きものであることを忘れるな。また、この父のごとく生きてはならぬ。願わくば喜び多からんことを祈りつつ、私はこの詩集を彼女のために 残すのである。
(「詩集 井戸の下の国のうた/あとがき」より)
目次
- 詩集 井戸の下の国のうた
- 内なる「アジア」からの出発
- 住まい・暮らし・消費者
- モータリゼーションへの警鐘