1973年1月、せりか書房から刊行された長谷川四郎の訳詩集。
外国語の詩を日本語に訳そうとこころみて、それがある程度の出来栄えを示しているようなのが、この本ですが、詩というものはその母国語と結びついて、それに内在しているものですので、訳詩は訳す人を通過して、もとの詩が訳す人の母国語の詩になったものだと、このようにうけとってもらいたいと思います。たとえうまくいかなかったにしても、そうあらしめようと努力したつもりです。
はじめからこのような本をつくろうとして、とりかかったのではありません。おりに ふれて、一つまた一つと、訳すべくこころみているうちに、このこころみが、このような一冊の本になるほどの分量になり、せりか書房がそれらをまとめてくれたのが、この本です。生れてはじめてこころみたものから、指おりかぞえてみると、三十年以上の時間がかかっています。
いろんな詩人のいろんな詩が入っていますから、どうやってそれらの作品をえらんだのかと、もしもあなたから問われるならば、それはえらんだのではなく、出会ったのだと答えるほかありません。道を歩いていって道ばたで、ひとやすみすると、そこに一人の詩人もまた休んでいて、その詩人が詩を語ってくれました。それをよくきいて、おもむろに訳そうとこころみ、どうやらこれなら同じ母国語の仲間たちの前でよんでもいいだろうと考えられたものが、この本となったのですが、もちろん出来栄えについての判断は訳者には出来ません。ただ、わりと楽に訳したものはよく、苦心してやったものは、 あんまりよくないと言えるだろうと思います。
詩の配列の順序は、年代順とか国籍によってまとめるとか、そのようにはなっていません。また、一人の詩人の作品を一個所にあつめるというようにもなっていません。せりか書房の三室勇君が編集者として、また最初の読者として、だいたいその出会っ順序にしたがって、このように配列してくれたのです。ですから、見知らぬ同士の詩人が つぎつぎと現われて、しばらくすると、前に出会った人にまた出会うというふうになっています。それに、順序というものは、もともとこのような本にはありません。どこだろうと、ぱっと開いたところが第一頁です。
風の神アイオロスは琴をもっていて、この琴は風が吹いてくると鳴る琴で、ここからこの本の題名を思いつきました。自分からは鳴らないで、そとのものにふれて鳴りだしたものですから。いかにも貧弱で、なんだか調子はずれのような琴ですが……。
まえに『海』という訳詩集を出し、また『さまざまな歌』という詩集(ともに絶版) にも訳詩が入っていましたが、いくつかの作品がこれらの二冊からこの本にもとり入れられていることをご諒承下さい。自分ではこの本は、臨時のものではあり、まったくせまい範囲内のものですが、ともかく自分なりの一応の集大成か、それとも見本帖のようなつもりもあるのです。(「まえがき」より)
目次
まえがき
- 鳥 スモリャコフ
- 金の山々 ルージェヴィチ
- 押し掛け客 クーネアト
- 風 ギルヴィク
- 夜の時計へのオード ネルーダ
- 動かない季節 ネルーダ
- 巻貝を吹きならす者 ボブロウスキ
- 強い星 リルケ
- それはあらゆる究極の力に…… リルケ
- 消滅について クーネアト
- 赤から青 コクトオ
- 詩三篇 ガスパル
- 日の初まり アスラモフ
- アムール パサール
- 黙っていた女のシャンソン ユゴー
- きみは…… デスノス
- 井戸水 ジャレル
- 去っていくもの それはいつも子供たち パディリャ
- カプリッチョ ロルカ
- 夜(抄) ロルカ
- こがれ死に ロルカ
- 首切り人の娘ゾフィーのおくる首切られ仲間の歌 モルゲンシュテルン
- 放蕩者の祭り モルゲンシュテルン
- 眠りこみ エンツェンスベルガー
- スケルツォ エンツェンスベルガー
- 動物詩 ブレヒト
- 理髪嫌いのもじゃもじゃ頭 レッツ
- 穴 コーン
- 灰 ポパ
- 墓地 デスノス
- 息づかいの礼拝式 ブレヒト
- 浮気女房 ロルカ
- 壁 ルージェヴィチ
- 家路 ボブロウスキ
- 潟の漁師の女房たち ボブロウスキ 116
- 詩三篇 ガスパル
- ユダヤ人墓地 ブロツキー
- 戒厳令 パディリャ
- カリブ海 ギリェン
- ギター ギリェン
- 詩法 ギリェン
- うり二つ シャール
- 夕べの歌 ボルヒェルト
- 残務整理 ショル
- 草原 ボブロウスキ
- 恋愛詩 ボブロウスキ
- 画家シャガールの故郷 ボブロウスキ
- 海辺の老女たち ネルーダ
- 無言の行 カルポーヴィチ
- 呼び歌 エンツェンスベルガー
- 警告の歌 エンツェンスベルガー
- 好景気 エンツェンスベルガー
- 雨も秋のガラスも…… コクトオ
- コルィマの女たち ダニーロフ