私のなかの他人 日野啓三

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 1975年7月、文藝春秋から刊行された日野啓三(1929~2002)のエッセイ集。装画は尾方一成、装幀は阪田政則。

 姓は不明。五郎という名しかわからない。年齢四十五歳。「病んだ精神のうらぶれた中年男」と自分では考えている……。
 最初にベトナムに特派員に行ってざらつくような心で帰ってきた時だった。本当に文学らしい文学に飢えきっていた。帰国して最初に買った本が梅崎春生の『幻化』だった。荒れた心に、その文章、その主人公が沈みるようだった。
 ちょうどその頃から、私自身、習作的な小説を書き出した。次はワシントンかロンドンにでも 特派員に出られると思いこんでいた女房は、本気に呆れ、怒り出した。「あんた頭おかしくなったんじゃないの」と言われる度に、ミスター五郎はますます私に身近になった。
「兜をかぶっているのが常人で、今のおれの場合は兜を脱ぎ捨てた状態じゃないのか。頭がむき出しになっているから(中略)生きているつらさが、直接肌身に迫って来るのではないか」
 神経科の医者に、入院と治療の必要を言われたとき、五郎は心のなかでそう考えるのだが、
「何でこんな年齢になって、小説なんてものを書き始めねばならないのよ」と女房に言われるとき、私も胸のなかで似たようなことをぼそぼそと呟くのだった。
「このミスター五郎が、どれほど作者梅崎氏と重なっているかは知らない。だが、東京の神経科の病院を抜け出し、高校時代と軍隊時代と二度も過した南九州の地まで、ふらふらとさまよい出て歩きまわる五郎に、私は自分以上の自分を感じてしまう。その地で敗戦直後の除隊の日に、若い五郎は生きることの手ごたえを眩しいほど感じたのだ。そしてその後の二十年はその実感をなし崩しに裏切るものでしかなかった。
 だが、五郎は分身めいた奇妙な同行者が阿蘇山の火口の縁をよろめきながら歩くのを眺めながら、思わず「しっかり歩け。元気出して歩け!」と、まるで自分に言いきかすように叫ぶのである。この最後の場面も、というよりこの場面が、私は非常に好きだ。
 五郎という人間は、不安な人間実存の見事な形象化だと、もちろん一般的には言えるわけだが、 私自身としては、もう少し限定して考えている。というのは、ひと口に人間といっても、生きていることは自明の事実で、どのようにうまく正しく生きるかが問題であるような人種と、そうではなく生きること自体が精一杯の問題であるように、辛うじて一刻々々を生きている人種とがあるからである。
 五郎は人間一般というより、とくに後者の方の人種の代表だ。つまり、生と死、光と影、現実 と虚無のぎりぎりの境目を、ごく僅かだけ生の方に傾きながら、絶えず死と虚無の側から吹き上がってくる冷え冷えと黒い風、妖しい誘いの声を生々しく感じて生きねばならぬ種類の人間である。そのような剥き出しのあやうい生を生きる同族を、私は五郎のなかに見る。
 不断に自殺の誘惑が去来する、女体の闇のなかに逃げこもうとする、別の人間に見まちがわれるのが好きだ、いつも何者かに追われているような怯え、理不尽なことをされている強迫感、にもかかわらず「元気出して歩け!」と他人にも自分にもいつも心の底では声をかけ続けている……そんな五郎のひねくれたマトモさが、ひりつくように私には親しい。
 海岸の砂浜でサイダーびんを小石でたたきながら、ひょいひょいとひとり踊る五郎の飄然たる自由さ――それはまだ私には及びがたい理想でしかないけれども。

 昭和五十年五月
(「他人のなかの私――あとがきにかえて」より)

 


目次

I 枠のない自画像

  • 遠い憂愁
  • 校旗を焼いた日 
  • ヤモリ的な 
  • 地下鉄の隅で
  • 四十九年秋
  • 父と子 
  • 失われぬもの

Ⅱ 闇のなかの呟き

  • 半人間の悲しみ
  • 創るべき日常
  • ドーナツの啓示
  • 私のなかの他人
  • 形ないものの影

Ⅲ 出会い

Ⅳ めまいの年の記録

  • 溶けろ、ソウル 
  • 光あれ
  • 私はベトナムを見たか

他人のなかの私――あとがきにかえて


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