猫柳祭――犀星の満州 財部鳥子

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 2011年8月、書肆山田から刊行された財部鳥子の随筆集。装幀は菊地信義。レイアウトは中村鐵太郎。

 この本の初稿は詩誌『幻視者』に主宰者武田隆子さんの並々ならないご好意によって一九八五年冬号から一九八八年夏号まで十回にわたって連載された。タイトルは『哈爾浜の旅びと』だった。武田隆子さんは私と同じに満洲からの引揚体験があり、哈爾濱とは何か熟知しておられて、未熟な稿を採用してくださったのだろう。武田さんの詩には大陸のスケールの大きさがあり、私はファンだった。武田さんは二〇〇八年に亡くなられた。
 最初のころは犀星の小説『大陸の琴』も随筆『駱駝行』も手に入らず、『大陸の琴』は古書店の前の路上に並べてあった一五〇円均一のソッキ本のなかに見つけた。『満洲年鑑』(昭和十五年)はやはり路上に一〇円で並んでいた。あとは図書館や近代文学館まで何回も探しに行った。この国では満洲が悪い夢として忌避されていた時代だったのだろう。

 本書に引用した室生犀星の『哈爾濱詩集』は、冬至書房新社が昭和五十五年五月、初版を新装出版したものに拠っている。そのころは室生犀星のどんな選詩集にも『哈爾濱詩集』のすべてが載っていることはなかったから、この本が唯一の底本だった。今は文庫でも読むことができるが、文言や文字遣いに初版と違っているところもある。作者自身も詩の改定がお好きだったけれど、私は読者として論者として初版を拠りどころにしてきたのでそのままにしたい。そのほかの作品は原則として新潮社版全集に拠った。
 長い連載の間に主に哈爾濱に縁のある方々、とくにロシア文学内村剛介さん、出版社地久館の宮坂敬三さん、『東京ハルビン会報』を毎号手渡ししてくださった麻山春治さん、ハルビン会の皆さまなどから資料や情報をいただいた。また内村さんに紹介された元新聞記者の丸山直光さんからは哈爾濱での犀星のことを詳しく取材させていただいた。
 うれしかったのは室生朝子さんから連絡があって犀星研究会で講演するようにすすめられたこと。『哈爾濱詩集』をめぐってのお話をさせていただいた。哈爾濱桃山小学校の同窓会にお招きいただいた。ご著書をいただいたことも忘れられない。
 内村剛介さんは折に触れて犀星や哈爾濱に関する新聞の切抜きや哈爾濱に関する本を送ってくださった。また取材すべき方々をご紹介くださった。あるとき、内村さんは「財部さんはどうして『哈爾浪詩集』について書いているのだろうか」と質問なさった。私は返事に窮した。理由は何もないに等しいから。犀星についてもそうである。しかし今考えてみれば犀星詩によって描かれた満洲がとくに哈爾浪が「好きだから」である。それが理由になるとは思わなかったので「さぁ」などと首をかしげていた。
 内村さんは二〇〇九年に亡くなられたが、前年刊行された『内村剛介ロングインタビュー』(陶山幾朗編集・構成、恵雅堂出版)を読むと、内村さんは母校の教師との経緯で哈爾濱学院を退学しようと思ったことがあり、しかし哈爾濱という都市の魅力に抗し難く「いや魔力なんですね。この街のもっていた力ですよ」「哈爾濱学院というよりも、むしろ哈爾濱に学んだんですよ。哈爾濱という街がわれわれを作ったんじやないか」とまで語っている。私の書いている理由も「好きだから」でもよかったのにと今ごろ残念に思っている。
『猫柳祭――犀星の満洲』が『新潮』(二〇〇三年十二月号)に掲載されたときに内村さんは喜んでお手紙をくださった。およそ十数年もかけてこんなことをやっている私を同類の片隅に置いてくださったものと思われた。

(「あとがき」より)

 

目次

  • 猫柳祭――犀星の満州
  • 覚え書き

あとがき

 

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