ベーゲェット氏 阿部岩夫詩集

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 1988年10月、思潮社から刊行された阿部岩夫の第10詩集。装幀は加賀美勣。第19回高見順賞受賞作品。

 

 この詩集に収めた作品は、一九八五年八月から一九八六年八月までの間に「ベーゲェット氏」(語らぬはずが)として書いたもので、全て「淼」(びょう)に発表したものです。 その中から二十篇を選び再構成し、大幅に手を加えた作品もあります。
「淼」は清水昶さん、伊藤聚さん、藤井良和さん、鈴木志郎康さん、清水哲男さん、岩崎迪子さんらと行なった詩の同人誌で、一年間毎月二回二十四冊発行し、別冊として訂正を含めた同人の座談会を収録した第二十五号をもって終刊したものです。思えば「四」( 九八二年一月創刊)から始まった月二回発行の詩の雑誌は、その後「壱拾壱」へと続き、 私の中では「淼」で終ったことになります。
 この間、私は臓器の出血性の難病にかかり入退院をくり返しましたが、「四」時代から の鈴木志郎康さん、藤井貞和さん、八木忠栄さんはじめ、「壱拾壱」時代からの伊藤潔さん、清水哲男さん、吉増剛造さん、大島一さん、佐々木幹郎さん、ねじめ正一さん、伊藤比呂美さん、そして最後の「淼」では清水昶さん、岩崎辿子さんらの力添えがなかったら、ここまで来れなかったと思います。この場をかりて深く感謝いたします。

 ところで最近の私の詩は、極度に管理化された「病と死」をあからさまに書くことから始めています。ここ四・五年、制度から騙されたふりをして日々を送ってきましたが、わたしの身体はいまや制度が管理する人工体なくしては生きていけない混合体になってしまいました。したがって生も死も管理の内にあるといわねばなりません。失うものを経験して初めて存在の価値感が分かるようでは愚かなことです。嘆くのではなく、新鮮な存在を発見して残された己れの身体の機能を十二分に生かすしかありません。しかし実際に病気になって痛感することは、人間のこころの脆さ、危なかしさです。
 再発するたびに、まもなく自分も死ぬのではないか、ということを実はずっと前から知っていたように考えます。にもかかわらず心の底では決して納得している訳ではなく心が乱れつづけます。このように書いてくると、悲壮感にとらわれているようですが、しかし実際は悲壮感もなければ気負いもありません。むしろ怒りさえ感じるくらいです。それは周りの療友たちが入退院をくり返している内に、次々に同じ病気で死んでいくからです。この詩集の『ベーゲェット氏』はこれら逝ってしまった人々の総体からつけられた名です。
(「あとがきに代えて」より)

 

目次

  • 1(背番号化された病院の床で)
  • 2(最後の息がおとずれるまで)
  • 3(人工呼吸器で温められた身体に)
  • 4(今、静かなのは) 
  • 5(夜ごと)
  • 6(青い闇を泳いでいるような浮遊感が)
  • 7(もう何度か入退院をくり返して)
  • 8(秋が深くなると自分の周囲ばかりが)
  • 9(毛のはえた真っ青な空洞のなかを)
  • 10(どんなにさりげなく迂回したコトバを)
  • 11(窓から射す光が室の床に落ち)
  • 12(一瞬のことである)
  • 13(堅くすぼめられた尻の溝に唇を這わせ)
  • 14(性の温もりに戯れる呪われた視線が)
  • 15(崩れるように身体が倒れ)
  • 16(潰れるほどの兇いに)
  • 17(呼吸が詰るような夢から)
  • 18(病室が暗くなるにつれて)
  • 19(耳を澄ますと)
  • 20(膝――息の結び目に)

あとがきに代えて

 

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