1981年5月、白地社から刊行された倉橋健一(1934~)の詩論集。装幀は倉本修。
この本では、一九七五年刊の『未了性としての人間』(椎の実書房)以後に書いた詩論に、とくにふるいもののうちから、カフカについてのノートと支路遺耕治ノートを加えて収めた。
第一評論集となった『未了性としての人間』の書名は、もともとはあの本を編んでくれた松原新一さんがつけてくれたものだったが、そのひとつの根拠となったのが、カフカについてのエッセイであった。強引にアレン・ギンズバーグを絡めたり、書いたときの状況を反映して、論そのものもひどく緻密を欠いているが、カフカの文体の構造をめぐって、いちおうは曖昧性、断片性、つぎはぎ細工、微視性という大事な問題に言及しており、以後の自分の思想営為を切り拓く端緒になっていると思えるので、今日あらためて収録した。
石川啄木ノートは、この本のために書き下した。『一握の砂』という、啄木にとって自らの手になった ゆいいつの歌集の成立は、生活の必敗をたどる過程から、呻吟のはてに生みおとされたものと私はかんがえている。幸徳秋水らの「大逆事件」の報道を聞いてから、二十日のちの日付のある、詩稿ノートに残された『家』という詩の激越さが目に泌むように私に誘いかけた。
谷川雁ノートは、「白鯨」七号のために準備されたが、いまだに発行されない。理由はともあれ、この誌以外に発表するつもりは最初からなかった。ゆえにこれも書き下しと同じかたちになった。
ここ数年間、あいもかわらずゆるい歩行で、低処(ひくみ)から見えない光を見ることにやっきになってきた。今はこの書物も、その片々たる一証明と云ってみるほかない。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 悲しき玩具とは何か――『一握の砂』をめぐって・石川啄木ノート
- 体験と詩――戦争直後の現代詩・谷川雁ノート
- 励起のゆくえ――吉本隆明『戦後詩史論』ノート
- 自ら解放せざる夏――金時鐘『猪飼野詩集』ノート
- 埋火の風景――小野十三郎ノート
- 情意総まくり――三井葉子ノート
- 未了性としての言語――フランツ・カフカ ノート
- 触覚の言語――大岡信ノート
Ⅱ
- 蝋燭の忍耐――鈴木六林男『荒天』ノート
- わたつみの胸に抱かれて――釈過空ノート
- 死と抱擁する言葉――塚本邦雄ノート
- 詩の自由の条件――ポール・エリュアール ノート
- 無作為の演技者――支路遺耕治ノート
あとがき