1986年8月、思潮社から刊行されたジュラール・ド・ネルヴァル(1805~1855)の長篇詩。翻訳は篠田知和基(1943~)。
『オーレリア』(Aurélia) については、いまさら多言を要すまい。ネルヴァル (Gérard de Nerval 1808-1855)は、第一部が雑誌ルヴュ・ド・パリに出てほどなくして首を吊って死んだ。第二部はそのあとで出た。したがって首尾の整わないところ、あきらかに欠落と思われるところもあるが、これはこのままで読むものとして受け入れられて久しい。
この「創作」のもととなった「病歴」としては、一九四一年の「発作」と入院。一八五一年の「再発」と、その後の死までの断続的入院加療が知られている。彼の傑作(『火の娘』他)は、ほとんどすべて、この最後の時期に書かれている。思想的には、かなり偏頻なオカルト学に傾倒していたが、「文学」においては、それら個人的経験や心情は十分に昇華されている。
わが国では昭和十二年に佐藤正彰訳が出ていらい、同じ訳の改訂版を入れていくどか翻訳が出されている。しかし文体がちがえば作品の印象もかわってくる。訳者は訳者なりに拙い文体をつらねることによって、この永遠の作品にひとつの「解釈」を下そうとした。未発見資料などによって本文校訂が進めば、また改訳が試みられるのは当然であろう。しかし、学問的正確を期するあまり、名作をしていたずらに幻の作としておいていいわけではない。また煩瑣な校注や注釈によって、 学的厚化粧をほどこすことも作者の意図に沿うものかどうかわからない。注は極力避けて、解説もさし控える。ねがわくば 本文のみにて、作品それ自体を鑑賞していただきたい。
翻訳は雑誌初出によった。最後の六章後半は「メモラーブル」として独立させる版が多いが、初出では分けていない。七四頁「アポルリオン」(天使)は「アポロン」、「花に優しくくちづけをする」は「花を優しくほころばせる」を定説に従って訂正した。また七一頁「胃までさしこんだ……」以下は、「鼻にさしこんだ長いゴム管で、かなりな量のでんぷんやココアを胃へ注ぎこんでいた。」となっているのを、遺筆の校正によって直した。
(「訳者あとがき」より)
目次
第一部
- Ⅰ夢はもうひとつの生である
- Ⅱその女にはしばらくして、また別な町で会った
- Ⅲ現実生活への夢の流出とでも呼びたいものがこのときからはじまった
- Ⅳある晩、たしかに自分はラインの岸辺に連れてこられたのだと思った
- Ⅴまわりではあらゆるものが姿を変えていた
- Ⅵそのような考えは、つぎに見た夢でいっそうたしかなものになった
- Ⅶはじめはそれほど幸せだったその夢は、私を大いなる困惑の中におとしこんだ
- Ⅷやがて怪物たちは形を変え、はじめの皮を脱ぎ捨てて
- Ⅸそのような幻が目の前に現われては消えていった
- Ⅹ想念がしだいに私を陥れていったふしぎな絶望を どうやって描いたらいいだろう
第二部
- Ⅰまた失った! すべては終りだ
- Ⅱそのような考えが私を投げこんだ失意のほどを語りつくすことはできない
- Ⅲ炎が、心の中のもっとも悲痛な思いにかかわっているこの愛と死の聖遺物を燃しつくした
- Ⅳこの幻と、それがひとり居の時間にひきおこした考えとの結果生まれた感情はあまりにも悲しく
- Ⅴそのときから病状がぶりかえして、一進一退をくり返すことになった
- Ⅵその庭に集まった人たちは、みんな星になんらかの影響を持っているものと想像した
あとがき