1985年11月、思潮社から刊行された新藤凉子(1932~)の第3詩集。装画は桂ゆき。第16回高見順賞受賞。ラ・メール選書2。
新藤京子自身のアドバタイズ
昭和58年の夏、突然、シャンソニエの伊東一恵が亡くな った。その年の暮れ、さらに私の妹が死んだ。若い二人の死は私に、いつもは忘れていることを思い出させた。生と死は一直線に結ばれていて、その道筋が人生なのだということを。
かつてパリで勉強した一恵は、再びパリに出かけたいと、夢見がちに語っていた。歌が好きだった妹は、息を引き取るまでシャンソンを口ずさんでいた。 昭和37年夏、私に歌を勧めていたケイ子が、多摩川で水死した。この三人を追悼する意をこめて、仕舞われたままになっていたヨーロッパ生活の詩を収録した。青春に挫折してアルタミーラやエル・カスティロ、またはフランスのニオーの窟に佇んだとき、生まれるまえの見知らぬ年月が、私のなかに立ち戻るのを感じた。私は過去や未来を行き来する点であり、大いなるもののなかでは私そのものが小さな道筋に過ぎないことを悟ったのだ。
戦中、満鉄に勤務していた父が亡くなったとき、大連に住んでいた小学校三年の私は、蒙古まで遺骨を迎えに行った。万里の長城に近付く頃は、汽車の窓から見える景色は日がな一日、変化することがなかった。或る日はコウリャン畠が一日中続き、その背高く実ったへりを、陽が昇りまた沈んだ。或る日は真赤なケシ畠が果てなく続き、大きな太陽が燃えながら花の中に融けていった。漠と果てしない自然の悠久の中では、人間の命は、一滴の血の涙のようだと、幼い胸に実感された。
私はそれまで一人では、学校にも行けない子どもだった。長男の嫁である母に連れられ、父の生家に帰ってからは、「家・家」と言い続けた封建的な祖父に反抗して、自由を求めて、外へ飛び出すことが生きがいのような青春を迎えた。いまは、その祖父もいない。
目次
Ⅰ
- 大陸の桜
- 曠野
- 夢の塗り変え
- 季節
- 台北の十月
- 風の城
- 俑の女
- 残留するわたし
Ⅱ
- 暗い河
- 鷗
- 北ホテル
- どこへ
- ぶどう畑
- ビゾン
- 貧しいサーカス
- 金曜日美しいシャンソニエは現われなかった
- はるかな岸辺に
Ⅲ
- それからわたしは
- 小径
- 夢
- 躓く
- できない
- 紅葉
- 呼ぶ
- 花ぬすびと
- 雨ふる夜の唄
- 街角
- 落日の風景のなかで
- 薔薇ふみ
- 旅する花
- 波