黒髪の書 室生犀星

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 1955年2月、新潮社から刊行された室生犀星(1889~1962)の短篇集。装幀は鍋井克之。

 

 私の小説といふものには、何處にもすくひのあとが見えない、そのくせ私は何とかしてすくいを失ひたくないために、多くのこまかい小説を書いてすくひを形づけようとして、いつも失敗をつづけてゐる。私自身が生きて來たことに關しては、すくひは私の中にかぎられて存在してゐたが、もはや私自身のすくひにも飽々してゐるくらゐである。これは生きることに飽々してゐるのと殆ど同樣なものであらう、この飽々してゐるすくひとか生きてゐるとかいふことは、すでに飽飽してゐる實際のことがらから、決して飽きてゐないことを證してゐるやうなものである。「鞄(ボストン・バッグ)」「汽車で逢つた女」の生きかたは、こんな世界にはいらないと生きられない難かしさがあり、その難かしさを簡單に解きあかした一人の男のみちは、何處から見ても、いろいろな世界に通じる透明さを見せてゐる。「餓人傳」「命」のあくどさは實際は透明無類な境であつて、みんなが此の中にゐることに少しの疑ひはない、厭らしいことを避けることを知らない人間は、純粹な動物としてうまれて來た以外に、ほかの生き方を知らうともしないし、知つても益のないことにぞくするものである。
「詩人萩原朔太郎」「堀辰雄」の二篇も、生きのこつた作家といふ人間が、ものを書くすべを知つてゐるために、どうしても其處までは一度は辿つて見なければならないために、はいつた世界であつて、作家といふものが人生に迷惑をかけてゐ點では、ふだんは頭を垂れて歩むべき謙虚さをもつてもいいものであらう、そして世のつね人とはちがつた友情を何十年後にまで、持ちつづけてゐる者も作家といふ人類であらう、作家の友情といふものは書くことによつて、いつもあらためられもするし、省みられもするものである。これが戰後の作品集でありとすれば、やはり私のこまかい小説を編むひまのなかつた人生への懶怠も、自ら省みて然るべきであらう。「蝶紋白」は「黄と灰色の世界」「文章病院」の三篇からなり立つ、病懊の中の一つの世界であるが、この二篇を割愛して「蝶紋白」だけをここにをさめて見た。「蝶紋白」の狹隘な生活になほひとりの人間が、どのやうな方向に呼吸を保つてゆくかについて、私にはこれを振り切つて行くわけに行かないのである。私といふ人間はやはり明るいところに立たないでといふ一つの言葉を、何十年も待つて見付けるために生きてゐたやうなものであり、それはひとつの命の繼ぎ目に生えてゐるものなのである。
(「序と解説」より)

 

目次

  • 序と解説
  • 汽車で逢つた女
  • 餓人傳
  • 詩人・萩原朔太郞
  • 詩人・堀辰雄
  • 蝶紋白


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