1993年11月、花神社から刊行された原子朗(1924~2017)の詩集。装幀は平野充。「歎語抄」第二。
私は技巧を好かない。私は抒情をあまり好かない。私はつきあいもへただ。そのせいか、あいつは人の詩の鑑賞はよくするが、自分の詩はさっぱりうまくない、と一部のひとたちには思われているらしい。つまり不器用ということらしい。ことにこのささやかな詩集は、その一部のひとたちにはそう思われるかもしれぬ。そうであれば、しかし、私は詩集を出すことは恥じても、不器用を恥じない。それでも予定していた四〇篇近くの中から半分を捨てた。
詩は志の燃焼の、おりおりの跡形。私は志をこれからもたいせつにしたい。けだし、私は一匹狼ではない、一頭の牛である。
畏兄加島祥造に、四年前に出した六冊目の詩集『歎語抄』のとき、「なんだか、おれとはちがう方向にいっているみたいだ」というふうにいわれた。「加島祥造が文人の求心なら、私はあえて遠心を試みていると思ってもらえないだろうか。ただし求心しながら」というふうに私は答えた記憶がある。
(「あとがき」より)
目次
- 羽虫の歎語
- ラシェーズの歎語
- 輪廻の歎語
- 楽市の歎語
- 距離の歎語
- さようならの歎語
- 列島の歎語
- ドン・キホォテの歎語
- 真夏の昼の歎語
- 出会いの歎語
- パイプの歎語
- 北京の歎語
- 雨の中の歎語
- 葉の歎語
- 根(racine)の歎語
- 旅びとの歎語
- 長安の歎語
- 忍耐の歎語
- ブロォドウェイの歎語
- エコウの歎語
あとがき