2012年11月、土曜日術出版販売から刊行された松井ひろか(1983~)の第1詩集。
この十年間、進学もせず、就職もせず、お金と時間をつくっては、絵や映画を観、音楽を聴き、外国(おもにロシア)にひとり旅し、いつか良い作品を書くためだけに多くの時間を費やした。親を泣かせたけれども、無鉄砲に生き抜いた二十代の日々であった。そうした日々を過ごし、いま、自分の残した作品を見渡してみて、その出来栄えに、はげしく身の縮むおもいがする。
十代のはじめから半ばにかけて、太宰治などの小説をむさぼるように読んでいたわたしを詩の世界へ誘ったのは、長谷川龍生先生の『パウロウの鶴』だった。当時、重度の不眠と強迫神経症に悩まされていたわたしは、この一篇の詩をくりかえし噛むように読んだおかげで、どんなに孤独であろうと、内面との対話を絶やさなかった。
ウィリアム・ギブスンの描いた「平坦な戦場」という日常は、とっくに過去のものである。しかし、十代の苦しかった日々、その日々を引きずっていくことがわたしの生きる意味となる気がしている。もはや日常は山あり谷ありの戦場、しかしわたしはあの憎き青春を決して手放さない。そこから紡ぎ出す言葉はすべてわたしの戦果である。
去年の春、母が脳梗塞になりその後遺症で失語症になった。いまや平仮名や数字さえほとんど読めない母と、そういったひとたち(全国に五十万人ほどいるという)に、わたしの書くものは無力かもしれない。しかし、言葉は、わたしにとって(彼らにとってもきっと)紛れもない希望の糧である。それを手放すことはない。
最後に。大震災から一年経ち、復興の兆しのあるひとと、疲れ果ててそうはいかないひととがいると思う。いまにも希望を失いそうなひとを、どうにか全力で救わなければいけない。彼らを忘れてはいないという意味でも、この本が一助になれば幸いである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- タチアオイが燃え上がる
- 海のぱんつ
- 噛む
- 小箱の霜
- あなたとわたし
- 門
- 早朝のエナメル
- 響くひと
- 白昼
- 揺蕩(たゆた)い
- 短詩三篇――待つ、向こうへ 向こうへ、みちゆき
- 秋、自転車にまたがって
- あるリズムマシン
- しめやかに告げる
- 愛すべきひとに
- 春痛
- ある天使の思い出に
Ⅱ
- コンソレーション
- 敵の星図
- 八月のホワイトクリスマス
- 孔雀の家
- やみのなかを
- 真夜中のプリズム
- うつろい
- 遠きをみつめて
- 雪客(せっかく)到来
- 結ばれた唇
- 最後のオレンジ
- ストランゲーゼ二十五番地
あとがき