2009年4月、作品社から刊行された佐藤文夫(1935~)の詩集。装画・装幀は三嶋典東。
佐藤文夫の新詩集は、千葉の津田沼から立ちあがった。
「いまここには/津もなく/田もなく/沼もない」ではじまる。一九六一年『昨日と今日のブルース』から五十年、一九七三年『ブルースマーチ』から三十五年あまりたって、アフリカン・アメリカンの人たちではなく、日本の土地に根づいたブルースが立ちあがった。
美しい、今は古(いにしえ)になろうとし、まずは消えてしまった津や田や沼にかわって、彼らは口がないから、佐藤さんは土地の守護神にかわって、それを殺し、つぶしたものを告発するところから、今度の詩集は、はじまる。「沈められた海」も沈められた海について告発する。海は言葉がないので何も云えない。佐藤さんは言葉を発信する場所を持たない津とか海とかにかわり、彼らの言いぶんを語る。
それにモロック(魔神)だ。アレン・ギンズバーグのビートのきいたモロックを神田につれてきて、神保町無残を語る。これら言葉を持たない街、通り、印刷屋から蕎麦屋、彼の若い時、初めて働いた街まで無残にひしゃげる鉄骨の山にされ、つまり現代の巨大な欲望の化けものと化した、かつての人間の魂の往き交う街を告発する。だが「風をまつ」といい、津軽半島北端の断崖にいき、死者たちをよみがえらせる、父も壺井繁治さんも黒田三郎さんも諏訪優さんも草鹿外吉さんも、死者の魂をこの世にとどめよ、と。八木忠栄さん、津軽の泉谷栄さんたちとともによき仲間たちと奥の細道を。
動物詩篇もある。そこでは竹林思うパンダ、氷海思う白熊、温暖化でアザラシもとらえられず生きていけない彼ら。地球規模に超速度で破壊される、もう手おくれと思われる自然。一方、地雷をふむ水牛。
最後に「わたしの決算書」が現れる。幼年期から少年期、青年期。幼い日の学童疎開から、マルクスを友から教えてもらう少年期、そして安保闘争の青年期、壺井さんや黒田さんと「詩人会議」を生みだした頃。壮年期は仕事仲間、親しい先達、壺井さん、黒田さん、武田文章さん、草鹿さん、そのみんなは今、いなくなった。
人間なので次には老年期だ。いくら若くてもそれを捨てるわけにいかない。そのために今があり、だが時に文句が言いたくなる。
そこで「五感不満足」などと言いだす。いずれも魂と肉体とのユーモラスでもあり、真剣な対話だ。
(「跋 佐藤文夫『詩集津田沼』ブルース発信す/白石かずこ」より)
第一詩集『昨日と今日のブルース』へ、白石かずこさんから「ブルース党よ!」というホットな言葉をかけていただいてから四十八年。その白石さんに、今回もあたたかい励ましの跋文をいただいたことは、この上ないよろこびです。
また第二詩集『ブルースマーチ』刊行時には、諏訪優さんからその跋文に「佐藤文夫は、たえず”ブルースがマーチになるとき”のために詩を書き、そのための姿勢を崩さずに歩んできた詩人だと、わたしは考えます。日本語や日本の歌の民衆的リズムをたくみにとりいれ、消化している点も指摘しておいてよいことだと思います」との言葉をいただいたことも、なつかしく思いだされます。アフリカ系黒人のバラク・オバマが、かのアメリカ大統領に選ばれ就任するなど、まさしくブルースが行進(マーチ)に変革(チェンジ)したことを実感します。
思えば四六年前、「詩的実践による詩と現実の変革」をめざして船出した詩人会議でしたが、そこでわたし自身どれほどのことができたのか。壺井繁治さんが当時提起された「政治的であることが同時に文学的であること」の命題も、わたしの場合、その後「民謡とブルース」という視点、観点から、それをはたそうとしてきました。よくもわるくも、その答えは本詩集の中にしかないのではないか、と自問していますが、答えはまだ得られそうにありません。
わたしの持ち時間もあとわずかです。体力のつづくかぎりは、さらなる精進をかさねたいと思っております。ご教示、ご鞭撻をねがいます。
(「あとがき」より)
目次
- 津田沼
- 沈められた海
- モロックよ 一九九七年四月五日天国へいったアレン・ギンズバーグに
- 神保町無残
- 通信 中島みゆきのウタ「C・Q」によせて
- 復讐と報復
- 短い詩 三篇
- モナリザの微笑
- 風をまつ
- 津軽夏旅 泉谷栄歌集『津軽夏旅』にそえて
- 風
- ロンドンの風
- 乳房
- わたしの動物詩篇
- 短い動物詩 三篇
- 焼鳥で一杯
- 鳥たちのジハード
- 牛二題
- 電話 鳴海英吉さんに
- 墓詩銘のブルース 「ひ」と「し」の発音ができなかったNさんへ
- わが来歴
- 国語の時間 「こむ」の使い方
- わたしの決算書
- 晩秋の朝のブルース
- オシッコ四題
- さらばカテーテル
- わたしは神を見た
- 五感不滿足
- 右手と左手
- 老人たちの夢
- 老いの火
跋 佐藤文夫『詩集津田沼』ブルース発信す 白石かずこ
あとがき