1973年7月、私家版として刊行された三好草一(1908~?)の詩集。三好は荻原井泉水門下の自由律俳人。題字は荻原井泉水。
三好草一君は自由律俳人として四十年の句歴をもっている。いま、倉吉市に住んで、梨の花の会の世話をしていられる。君が層雲の同人たることは今さら紹介するまでもないが、君はむしろ、俳句をもふくめて、広い意味における詩人と言うべきであろう。その君が詩集を出版されるのは頼もしい。というのは、私はかねてから、層雲の人々に、俳句のほかに詩を作りなさいとすすめている。俳句というものは、とかく生活身辺の日記的な感想にとどまりがちである。その気持から飛躍を試みるべきである。イメージの翼をもって飛立つべきだというのである。こうした私の要望にあだかも答えて作られたようなのが、此の草一君の詩集である。
君の町、鳥取県倉吉というところに、私は数回立寄った。去年行ったときには、一夜その近郊で蛍狩をした。このごろは田舎にも螢は影をひそめていると聞く。その螢が宝石のように夜空をちりばめているのが倉吉という町である。また、君の俳句(近作)に白鷺白にして寒からずや雪の降る中
水があれば水に映り白鷺が雪を催す
師走おだやかに白鷺三羽ほどがいてそれも市と称するほどに人口の多い町に白鷺が飛んだり、水におりたりしている、めずらしいところである。倉吉の民芸品という人形や紙雛や紙鳶をもらったことがある。民芸というものはその土地の風土を象徴したもの、これを見ても、倉吉とはいかにも風趣のある町である。そこに詩人、草一は一介のブリキ職人として生活している。出でてはトタン板をたたき、ハンダを流し、雨樋の修理をし、家に帰っても、花に水をやる如露を作るのがブリキ屋さんである。そうした君の生活の中から君の詩が作られる。私たちのありたいと思う詩は、いわゆる詩人と称して高く己れを持している人の作品よりも、こうした庶民の心からたたきだされた作品である。いったい、俳句というものが庶民のものである。それと同じ行きかたをもって、われわれの短詩も長詩も行きたいものではないか、と私は考える。
(「序文/荻原井泉水」より)
この集の二行詩は句と並行して、昭和三十八年から作り始めた。十年になる。総て先生の選を経て、層雲に発表したものばかり、初め半分位にまとめるつもりであったが、やっているうち、つい愛着捨て難く、全部を載せてしまった。そして如何に物を捨てることの難事かを知ったのである。(「後記」より)
目次
序文 获原井泉水
- 作品
- 風景
- 砂の曲
- 海
- 秋日
- 砂や木や雲や
- 冬の日
- 目ン玉のある風景
- 雪の譜
- 猫
- 春光
- 蝸牛の季節
- 墓地
- 春愁七章
- 日日
- 月と星と
- 影
- 天氣図
- りくつ
- ブリキ職人の詩
- 昔々
- 砂丘
- 秋
- 序列
- 舞台
- 季節
- 蝶
- 川
- 病中
- 春
- 花
- 菊になった姉
- 無題
- 花のカタログ
後記