詩篇アマータイム 松本圭二詩集

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 2000年8月、思潮社から刊行された松本圭二の第3詩集。校正は郡淳一郎、編集は佐藤一郎、装幀は稲川方人

 

このインクの軌道を
眼差しのファンタジーに返そう
私が見ているのは書かれた文字ではない
薄い光源によってモニター上に照らし出された映像文字だ
それは青く発光するジェル状のアミーバ――どろりと垂れてくる――に似ている
遅い光が液体のように浸透してくるから
胎内化した室内へ
それから私の眼を通って脳の溝へ
これは危険な物質だ
彼らはいつまでもこの海に浮かんでいたいと望んでいる
少なくとも紙の上にプリントされるよりは
しかしそれでは困るので
私は追放する
箱の中か
薄っぺらな円盤の方へ
彼らは情報として記憶される――一時的に消滅する――わけだ
私は一度も文字を書かなかった
紙はゆっくりと頽れ
人間は急激に老いて行くが
彼らは不変である
忘却だけが彼らを葬るだろう
もちろん彼らを救うのは簡単だ
あの巨大なデジタル・アーカイヴに登録してやればいい
変換と更新によるその不死のシステムへ
しかしいずれ腐敗するしかない私の自意識は
それを拒んだ
私は彼らを救わない
テクストさえ救わないだろう
救われるべきは
書物だ
私は考えるしかなかった
組版の領域へといかに入って行くか
書体を決定するものは何か
活版の輝きを恢復すべきかどうか
フィルムを媒体とした光学的な印刷技術の運命について
プリントという行為に対する欲望の持続について
木材パルプやフィルムといった近代的マテリアルの物質性を形式として意識すること
回転体を伴うモータードライヴをトランスファーするもの
撮影機、映写機、印刷機、車、バイク…
リニアな等速運動の暴力に曝され続けているフィルム=紙への倒錯した執着
右眼から左眼へのすべらかな移動を遮るもの
複雑な切断面
視線の苦痛
ヴィデオ
モルグ
書物は人間のようでありたいと思っていた
だが人間的ないたわりが書物を救った試しはない
書物は非人間的な力学――その理不尽な暴力に耐えられるだけの強度を主張すべきだ
アセテートやポリエステルでできたあの不運な連続写真のように
零年/零年
すでにデジタル・イメージの勝利は
ノン・リニアな世界像が書物の欲望を代行し得ることを示していた
このレトロスペクティヴな視線の一切を欠いたヴィジョンは
時間軸に支配されない空間の並置によって
現時を立体化するのだが
それは人間的な思考のパターン――何かをしながらあれこれ他のことを思う――を
忠実に再現したものに過ぎない
それでも彼らはゴーストの如き不死を約束されているので
もう人間を愛したりはしないだろう
私はその透明を汚したかったのだが
背後からの光源――クセノンランプあるいは失われた夏の太陽光――で焦がして
爪で引っ掻いて
私はこの追放の作業を生まれつつある娘の様々な生物学的段階を考察することから始めた
胎内から吐き出された彼女は
泣きながら光の祝福を受け入れていった
次にミルクを
声を
詩篇「アマータイム」は
左記の詩および散文の言葉から構成されている
初出時の形式が完全に再現されているものは少ない

『数字のある自画像』より・「現代詩手帖」一九九六年四月号・思潮社
海、本、老い・「ユリイカ」一九九六年七月号・青土社
海、本、老い・「庭園」第一二号・一九九六年一二月刊・浅山泰美
月を食べる・「投壜通信」第三五号・一九九六年一二月刊・矢立出版
森を歩く・「投壜通信」第三七号・一九九七年一月刊・矢立出版
ゲイブに捧げる・「ユリイカ」一九九七年二月号・青土社
「チビクロ・同右
時間がわからなくなった・「投爆通信」第四〇号・一九九七年四月刊・矢立出版
海、本、老い・「bianco」haru号(第一号)・一九九七年四月刊・北條一浩
沈む家・同右
拾遺四篇(四月、三月、二月、一月)・同右
氷上の国では・「投壜通信」第四二号・一九九七年六月刊・矢立出版
海、本、老い・「ユリイカ」一九九七年六月号・青土社
わからないままこの一日は終わる・「投壜通信」第四三号・一九九七年七月刊・矢立出版
奇跡の授業・「現代詩手帖」一九九七年九月号・思潮社
食後/微風・「投壜通信」詩作品号第一号・一九九八年七月刊・矢立出版
リアルライフ・「ユリイカ」一九九八年八月号・青土社
鳶少年・「九」第一四号・一九九八年二月刊・〈九〉同人会
僕の紙は黒い・「投壜通信」第五一号・一九九八年一二月刊・矢立出版

散文
『Love Letter 2』・「現代詩手帖」一九九六年二月号・思潮社
After the Gold Rush ・「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」・一九九六年二月刊・勁草書房
チビクロ(連載)・「現代詩手帖」一九九七年一月号――一二月号・思潮社膝になって墜ち続けよ・「bianco」haru号(第一号)一九九七年四月刊・北條一浩
近代の一日・「映画芸術」一九九七年夏号・映画芸術新社
「詩人」の部屋で「映画」は・「sagi times」第一号・一九九八年五月刊・スタジオマラパルテ
都市・「現代詩手帖」一九九八年六月号・思潮社
アマータイム・「ユリイカ」一九九八年一〇月号・青土社
R・F/5つの断片・「sagi times」第二号・一九九九年六月刊・スタジオマラパルテ

 

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