1975年9月、溪水社から刊行された小久保均(1930~)の連作短編集。
人はそれぞれの内部に、いくつかの”情景”を蔵い込んでいはしないだろうか。それはときとして”情景”というにはあまりに模糊としていて、見定めようとすれば逃げ水のように消え去ってしまうかもしれない。うまく触媒を落し込んでやることによって、それは暗室の現像液の中で次第に輪郭を明らかにしてくる一葉の写真のように明瞭な像を結んでくるだろう。
本書所収の十三編を私はそのようにして書いた。内部に深く潜んでいて、ときあって蠢き、なにかしきりに意味をちらつかせ続けるそれらの模糊としたものに形を与えてやること――これがこれらの小品を書くに当っての私の唯一の意図であった。”触媒”は快感であった。私は終始、そう書くことが快いように書いた。
そういうわけで、これらの情景はきわめて個人的なもので、それが他者にいかなる意味を持ち得るのか私には判断することができない。ただ、書き上った順序であちこちに発表しているうちに、ごく少数の方々から、望外の励ましを受けたところから、これらが何ものかであるらしいと思うだけだ。
私の中にはまだ蠢くものがいる。そしてそれらに明瞭な姿形を与えよと命令するものがいる。快いように書くとはいえ、作業は決して楽ではなく、ペンは必ずしも思うようには動いてくれない。ともすれば流れ、逸脱しようとする。
(「後書」より)
目次
- はればれした朝
- 夏の日に
- 山のむこうで
- 海の鋸
- 海に漕ぎ出よ
- あすは高原
- 北を見る
- 夜を愉しく
- 海のほとり
- ふたりで一枚
- 去年の秋から
- たぶん明日も……
- もうすぐですよ
後書