1985年8月、内外印刷出版部から刊行された木下夕爾(1914~1965)のエッセイ集。編集は高田英之助、表紙絵は中山一郎。
一びんの紫インク 堀口大学
木下夕爾君とは面識なしに終ってしまった。三十数年前『若草』詩欄の昔から、僕を師とも思い、慕ってもくれた人だったが、心のふれあうような文通とてもなく、最後まで、年賀状交換程度の、そっけない交際に終ってしまった。
詩集『田舎の食卓』を贈られたことは、この本が、なみはずれの大型本だったので、記憶に残っていると言った程度のものだ。
たった一度、終戦の翌年、僕が妙高山下に疎開していた当時、一びんの香料入りの紫インクを、福山在住の君から贈られ、びっくりしたことがあった。
<店に売れ残りが見つかったからお届けする>と、ひとこと簡単な添え状があった。
木下夕爾は『若草』の頃からのなつかしい親しい名だが、さてこれが、どんな学歴、どんな職業の人か、久しく僕は知らずに過ぎていた。この贈物のおかげで僕は、君を文房具店の若主人と思うようになった。ところがこれは僕の思いちがいで、本当は薬屋さんのご主人だと知った。つい四五年前のこと、もの知りの岩佐東一郎君に教えられてのことだった。
木下君があの時、なぜあのインクを贈ってくれたものか、あの当時も、その後も、そして君の死去を知った今も、考えてみたが、はっきりしたことは、ついに分からない。ただ、当時は、食糧だけではなく、あらゆる物資が不足欠乏していた時代だったし、僕は越後の不便な山里に疎開中だった。インクの一滴にも事を欠いて、何やらえたいの知れない、セピヤともへどろとも判じかねるような古い柿渋を煮つめた汁にペンをひたして間にあわせていた。多分その代用インクで書いた僕のハガキか原稿のようなものが、君の目にふれたのではないだろうか。
そのインク代わりの柿渋のみじめにみすぼらしい色合いが君に、かっての日自分が、あの『若草』の牧原に、未来の駿足の名を一身に負って、ゆたかなたてがみをパルナッス風の朝風に波うたせ、颯爽と駆け回った当時、あの牧原の番人をしていた牧夫―僕―のことを思い出させ、色もゆかりの紫のインク一びん、贈る気になったのだろうと、僕はひとり合点することにした。
駿足はすでになく、牧夫もまた老いた。ああ。
目次
Ⅰ ながれの歌
- メルヘン・ながれの歌
- 朝に俗銭を得て夕に詩をつくる
- 詩について
- 樹木に
- 我が愛誦詩
- 赤い月
- 薫風記
- 夜ふけの客人
- 傷と刀何という凸凹でしょう
Ⅱ 俳句雑話
- わが俳句修行
- 久保田先生のこと<流寓抄>
- 福山雑記(1)
- 福山雑記(2)
- 手垢のつかないもの
- 橡の花
- 思い出の句
- 「みちしば」のこと
- 付・思い出の一句
- 「鏡部落」の中から
Ⅲ わが詩わが旅
- わが詩わが旅
- 記憶と印象・山陰・山陽の旅
- ”ふるさとの”武蔵野
- 加茂川の下流
- お巡りさんの歌
- 井伏鱒二先生のことども
- 井伏文学と郷土
- 小林画伯のことなど
- 書物を愛するの記
- 盗作について
- 正月の思い出
- 早春記
- 秋燈下・夜学生
- 動物記
- 卒業生(絶筆)
- ひがん花と女郎花(未定稿)
後記 高田英之助