1975年9月、文化総合出版から刊行された竹村俊郎(1896~1944)の作品集。上下2巻。編集は室生朝子。口絵写真は千葉春雄。
丸山薫氏の文学碑の除幕式が、三年前の秋、山形の横根沢で行なわれた。私はその帰り途、何年ぶりかで竹村俊郎の未亡人かつ子夫人を尋ねた。会わなかった長い空間があったものの、懐かしい馬込時代の話は、長女の凛々子さんをまじえて、夜遅くまでつづいた。
詩人の竹村俊郎は父犀星の親友で、父が大森馬込に家を新築したころ相前後して、すぐ近所の柿島の横に家を建てて、駒込から引っこしをして来た。そして昭和十二年に竹村さんの母堂が亡くなり、翌十三年、家督相続のため山形に引きあげるまでの約七年間、家族共に親しい交際があったのである。
私はその夜、竹村家の三階建の城のような家のお蔵に一泊した。広い部屋にストーブは三つ用意してあったが、東北は東京よりよほど寒かった。私は寝る前に座敷の隅にあるカーテンで覆われた本箱を、そっとのぞいた。想像はしていたものの、父の初期の初版本が、汚れもせず真新らしいまま保存されてあった。そしてとなりの本棚には、大正初期の雑誌、「朱欒」「卓上噴水」「日本詩人」「感情」「月映」などがぎっしりと積まれ、横のボール箱にはなま原稿の綴じたものが、沢山にあった。父の初版の署名本は、現在私の身近にある本と同じものながら、それは全く違う本のように、私には新鮮に映った。
私はその夜、布団を深くかけいろいろのことを思った。竹村さんの、父よりは優しいおぢ様であった印象が、急速によみがえって来た。どれほど親しくしていた人でも、一度疎遠になると、日頃は滅多に思い出さないものだが、今まで想い出として私の奥深くにあった竹村家のことどもが、どっと浮かび出て来た。寝る前に、かつ子夫人が奥の部屋から大切そうに持って来られた、沢山の父の手紙を一枚一枚手にとって見たためであったのかもしれない。何故か新潮社版の『室生犀星全集』にも、未収録の手紙類は、単に二人の詩人の心のかよいあいばかりではなく、父の新資料となるものが、幾通かあった。竹村家に父の手紙が残り、署名本が数多くあることは、当前のことと思えばそれまでだが、三十年、四十年の長い年月、しかも竹村さんが亡くなられてからも、すでに三十年は過ぎているのに、紛失もせず完全に保存されていることから、私は感激にもちかい喜びを味わったのである。
終戦後の一通の手紙には、竹村俊郎の作品をまとめたいという父の意向が、夫人に対して書かれてあった。その後父の仕事が忙しくなったから、出版の話も跡絶えて残念であった、と夫人は言われた。この言葉を聞いた私は、その時までまとまらずにいた神経が、一本の線となってのびていったのを感じた。父のこれらの書物を処分して、竹村さんの作品集を作ってはどうだろうか。今まで保存されてあった誠意は充分以上のものであり、そのお金を生かしてその範囲内で編集すれば、書物も再び命ずくことになるし、父の意志も及ばずながら形として現わせる。編集のすべてをまかせてほしい、などと、朝の明るい太陽を茶の間の障子ごしに見ながら、かつ子夫人と話しあった。その時の夫人の嬉しそうな表情を、私は今も忘れない。早速専門家に書物の評価をしてもらう手筈をすると約束して、私は東京に戻った。
私は今までに他人の作品を編集して書物を作ったことはなかった。果して出来るか、という懸念」があった。昭和五年から亡くなられる十九年までの一年間一冊の、小さい手帖に簡単なメモのような日記があった。「手帖日記」と名づけよう。すでに出版されている詩集五冊と随筆、翻訳、俳句、短歌、日記などで全二冊にすればよいのではないか、などと、私のなかで大体の形、方向がまとまった。
いざ編集にとりかかろうとした矢先、弟の発病、そして私は仕事の無理が重なり、膵臓炎という厄介な病気で百日を失い、全快と同時に弟の食道癌は進行して入院、そして亡くなった。死後の多くの片づけごとが終ったあと、突然のかつ子夫人の死のしらせを受けたのが、四十九年の六月の末、やむをえない私方の事情があったとはいえ、楽しみにしていらしたかつ子夫人に本を見て貰えなかったことが、残念であり心残りが深い。
一周忌の命日にお供えしようと仕事を進めていったが、私自身の毎日の原稿が増え、その間には地方に取材に出掛けねばならぬものもいくつかあった。竹村作品集だけに時間をとることも出来ず、思わぬ時が必要であった。
昔父が使っていたブルーの罫の松屋の半裁の原稿用紙に、柔らかいがきちんとした字で書かれている詩、津村信夫が訪ねて来た時の日記風の随筆、懐かしい、なつかしい父の周囲の古いことどもを、一枚の原稿用紙から私に多くのものを想い出させてくれたのである。クリスマスに私に贈られた朱塗りの手箱のように美くしい小引出しの小箪笥を、現在も姪の洲々子がハンカチーフ入れに使っていること、犬の顔の形をした赤いフエルトの袋に、化粧品を一杯につめたものを、まだ女学生になったばかりの私が頂いたこと、親友の娘に女の大人としての夢を託されたことなど、今になってその時の竹村さんの心が、私に理解出来るのである。
責任を持って編集する仕事の苦痛も多かったが、いざ終ってしまえば、やはりやり甲斐のある、楽しく向えた仕事であったと思う。
年譜は仙台在住の久保和子氏から頂載した。すでに綿密な年譜が作製されてあったことも、竹村俊郎の魅力であろうと思った。きめられた頁数のなかで、どの作品を収録するかというのではなく、活字になったものを網羅することに、出版の意義というものを置いたのではあるが、時間的に完全を期して調べが出来なかった。竹村俊郎という一人の比較的若くして世を去った詩人の全作品を、私が編集をしたということは、父を通して可愛いがって頂いた私の少女時代を想い合わせると、小さい恩返しのような気がしている。専門的な編集者ではなかったが、親しかったということだけで、私の知る限りの「注」を、日記に附記することが出来た。
昭和十三年に山形に引きあげずに東京住いが続いていたならば、詩人竹村俊郎は、更に多くのよい作品を世に残した人であったであろう。
恩地孝四郎装幀の詩集『葦茂る』の版木が竹村家に保存されてあることを、この編集中に私は知らされた。恩地さんと竹村さんの交友を私は再び思いおこし、作品集の函に再現することによって、詩集の初版本の雰囲気を読者に読みとって頂ければ偉いだと思う。版木は納戸の奥にしまわれていた、と夫人が亡くなられたのち竹村家から聞いたが、文庫本ほどの大きさの一枚の板が、五十年ちかく保存されていたことに、私は父の初版本がお蔵の本箱に並んでいたことよりも、よほど竹村俊郎そしてかつ子夫人の文学に対する心遣いが嬉しかったのである。また、この作品集の表紙の色は、竹村さんの好みの着物を凜々子さんから見せて頂き、熱の感じにちかい色を選んだのである。
(「あとがき/室生朝子」より)
上巻 詩短歌俳句 目次
●葦茂る
この詩集の読者のために(萩原朔太郎)
自序
・陽炎
- 放浪息子と波
- 盗人
- 鏡
- 雪にたつ陽炎
- しののめにちかく
- 竹の葉の鳴る
- 蛙
- 畝
- 白い道路
・苔の上
- はんもつく
- 蔭影
- 苔の上
- 盲目のみちづれ
- 孤独
- 壁に攀づる
- 家をたつる
- 不思議な花
- 蟋蟀
- 目ざめ
- 梢
- 森と林
・孤独
- ある日
- 葱
- ある夜
- 娘
- 渦
- 信仰
・木の葉の欣び
- 暗い林
- はげしく光る
- 空
- 木の葉の欣び
- 古びた寝台
- 葦茂る
- 木の根
- 車窓
- 室隅
- 黒い森
- 冬
●十三月
序
・玉馬
- 自画像
- 詩は
- 再び詩は
- 独坐
- 君!
- 坂
- 街頭の星
- 君は言ふ―不幸な彼を愛せよと
- 飛行機
- 偶感
- 秋
・沙漠の笛
- 帰り去る
- 曇日
- 流転
- 花の詩
- 或風景
- 塋穴
- 揺るる鐘
- 或乞食の詩
- 阿房
- 若き女の死
- 書かねばならない
- 嗟嘆
- 僕 第1
- 僕 第2
- 朝
・甲板
- 月光
- 亜麻色髪
- ある夜
- 風と戯るる
- ろーりんぐぴつちんぐ
- なだれ
- 快活
- 清涼剤
- 無題
- 戦利品
- 上陸
- 土耳其の国旗
・白樺
- 日曜
- 市街
- 冬の街
- 荷船
- バスの屋根
- 都会の核
- 孤独
・黒き樹
- 種族
- みごもる貝
- 山椒魚
- 散策者
- 北国人
- 欝金香
- 白眼
- 月明
- 偶成
- 白百合
- 貘
- 額
●鴉の歌
・鴉の歌
- 黒い魑
- 裏切られ
- 暗い酒
- 牡丹雪
- 盃のみが明く
- どうなることやら
- 暗き地平
・冬の燈
- 枯木の中
- 枯木かげ
- 冬の燈
- 或日
- 隣家
- 凩の伴奏
- 龍
- 紅桟
●旅人
序(室生犀星)
・行雲
- 陋巷哀歌
- 火
- 芒
- きりぎりす
- あがき
- 虫
- 山中歌
- 山びと
- 断片
・離騒
- ウゴリノ
- オルゴル
- 消息
- 荒涼
- 自笑
- 青衣
- 哀歌
- 故里の歌
- 眺望
後記
●麁草
序
・麁草
- 宿命
- 流転
- 山に雲
- み山
- 木枯
- 悲風
- 鬼
- 寂寞
- 羽州むら山里の歌
- 蜜柑
- ひとり言
- 一本の栗
- 馬鈴薯の花
- 偶成
- 離居
- 悲歌
- 征くか丈夫
- 曇日
- 山ずみ
- 夏日
- 石仏
- 松籟
- 蹲踞
- 打水
- 展墓
- 自戒
- この山かげ
- 冬の山
- 冬の水
- 群山真洞
- 曠野の子
- 火
- 初日
- 豚
- 老醜
- 挽歌
- 春来
- 戦死
- 丈夫ごころ
- 三千年の血
・麁草以前
- 家をたつる
- 蟋蟀
- 目ざめ
- 私はめぐる
- 孤独
- ある日
- ある夜
- 葦茂る
- 雪の夕べ
- 冬
- 二つの貝
- 荷船
- 五月のバス
- 蕭条
- 月光
- 甲板抄
- 君
- 坂
- 街頭の星
- 秋
- 痛恨
- 愚人の告白
- 牡丹雪
- 盃のみが明く
- 漂泊者が歌へるたそがれの歌
- 日暮の街
- 天鵞絨の乳母
- 笑
- 愚父
- 災
- 枯木中
- 枯木かげ
- 冬の燈
- 或日
- 隣家
- 凩の伴奏
- 龍
- 紅桟
- 三時
- 部屋
- 鞦韆
- 蓑虫
- 陋巷哀歌抄
- 芒
- きりぎりす
- 断片
- 自笑
- 青衣
- 哀歌
- ぼんやりする眼
- 軽い感冒
- 夜景
- 与へられたる椅子
- 春をのぞけば
- 忌はしい唄声
- 路上
- 交叉する線
- 疲労
- 冒涜
- 抒情詩集のはじめに
- 午後
- 秋日思慕
- 五本の指
- とぐろまく蛇
- 女に贈りたる詩
- 臥床して魚を追ふ
- 標に立ちて
- 寂しい歓喜
- 寒夜の月
- 別離
- 敷石道
- 水と女
- ぬすつとかんかく
- 百姓どもへの声
- たまたま感ずること
- 浜の陽炎
- 酒造場の裏道
- 春立ち
- 春夜の点滴
- 短詩 春
- 短詩 売女におくる
- なにが来るのだ
- 喫茶店の一隅にて
- 憂鬱の遠み
- 建つる丸太小屋
- 見知らぬ嶋
- 轢死
- 窓
- 壁
- 一日
- 悄愴
- 暗い
- 恐ろしい
- 黄昏時の幻想
- 雪
- 美しき食器
- 暗い街路
- 無題
- 無題
- 喜劇俳優
- 亀井戸
- 峡間の月
- 再び詩は
・『詩神』掲載詩篇
- 訣別
- 鴉
- 動物園の琴
- 闇
・『四季』掲載詩篇
- 帰郷断章
- 谿間
- 熱砂へ
- 神
- 老鴉
- 朔風に寄する
- 若き日
- 深山鴉
- 天命
- いざ斧入れむ
- 沫雪
- 独歌へる
・諸誌掲載詩篇
- 散文詩二篇
- 空想の窓
- 建築場
- 夜路
- 絶望の巷
- 黒馬
- 傀儡
- 山中微吟
- 思想の虎
- 戦争・平和
- むら山少女
- 村の少女
- 捧げまつらむ
- あの森林伐らむ
・掲載誌不詳詩篇
- ギツシングの秋
- 天の瓦解 其一
- 天の瓦解 其二
- 貧乏なる人生
- 朗らかなる空想
- 痛恨
- ああ遂に
- 或詩集の序
- 或とき
- たそがれ
- 昨日の声
- 里の賑
- 国民学校
- 乏しさあらめや
- 蛙鼓
- 愚にあらむ
- 祈
- 鴉
- 米供出
- 仕へ奉る
●未発表詩篇
・詩集「北国人」原稿
- 村人
- 虫の音
- 矮人
- 地獄の花
- 匂
- 胡蝶
- 異園 其の二
- 無題
- 魚
・朧夜
- 1対話
- 2蒼明の砂漠
- 3嗟嘆
・短歌
・俳句
- 『鶴』掲載句
- 『風流陣』掲載句
- 発句研究ノート 昭和8年7月
- 発句研究ノート 其之二
- 発句研究ノート 其之三
- 発句研究ノート 其之四
- 発句研究ノート 其之五
- 編注
下巻 詩論随筆日記 目次
・詩論
- 現実を見つめよ
- 詩についての断想
- 明日の詩に就て
- ソリピシズムの詩
- 今日の詩
- 形式的な余りに形式的な―続篇―
- カメレオンの言葉―三好達治氏の批評に促されて―
- くさばな―乾直恵氏『花卉』の印象―
- 細み、その他のことども
- 詩についての常識二三
- 現代名句再鑑賞
- 形式について―カアの思惟をめぐつて―
- 半神半獣と白い仔犬―ギツシング研究の一部―
- 創作の残虐―ギツシング研究の一部―
- 経験の果実―ギツシング研究の一部―
- 「絶対」について
・随筆
- 新しきもの
- 昨日の蕎麦―小田揚君へ―
- 感情時代消息
- 予言者(その他)
- 『感情』時代の萩原朔太郎
- 龍動の夏
- 日録抄
- 蛇の目
- 近代設備考
- 知能の多様(Ⅰ)
- 知能の多様(Ⅱ)
- 山形の立原道造君
- 日記
- むら山だより
- 萩原朔太郎氏を悼む
- 月山
- 酒客漫言
- つづれ
- つづれ
- 馬込村について
- 墓場
- 緑色の曲者
- むら山里の少女たちへ
- 燭のほとり
- 秋日鏤刻(遺稿)
・手帖日記
年譜 久保和子
あとがき 室生朝子