陶古の女人 室生犀星

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 1956年12月、三笠書房から刊行された室生犀星の短編小説集。装画は恩地邦郎、題簽は畦地梅太郎、奥付印刻は宮地嘉六。装幀は著者。

 

陶古の女人
 私はときどきかういふ作品を書いて、小説にある私の浮沈のすがたを眺めることが好きである。書くことの愉しさは「優しきとき」「倖せは」などとくらべて見ても、もろともに愉しい。

ゴシップ稼業
 これも時間的にいえば今年の初夏に書いたものである。悲しみは妙な處にもあるものだ。文學少女といひ文學青年といふ言葉があるが、この文字づらを永く見てみると、えもいはれない美しさがあつた。こんな言葉の立派さを人びとは軽んじすぎたせいがある。ゴシップ稼業一篇は名を爲さざる人の墓碑銘の類であらう。

藝術家の生涯
 これはこの物語だけの表題ではない。私の現はしてゐるものの全部に断つての表題として見たい。あれもこれも人間の生きることは、生涯の藝術をきづき上げるに均しい。さればこそ私は十年前五年前の作品よりも、きのふ書いたものがしたしい。きのふよりも、けふ、いま机の上でしらべてゐる人生が大切なのである。なぜ、あなたがたは死んだか。

倖せは
「倖せは」は「倖せは來りぬ」をあらため、「倖せは」にしたのである。映畫館の埃を永い間見てゐるうち、私は倖せといふものを見ようとし、百萬人のなかの一人の少女に、その形を現はしてみたのである。

優しきときもありしが
 此のよわよわしく、また逞しいやうなすがたは、誰でも持つてゐる生きる詩の一せつであつて、この詩が對手にとどいてゐても、もはや朗詠しがたいものであつて、止むをえないことだ。そしてそれを行分けにして詩として見るのも、私くらゐのものであらう。

藍女
 このような切れ端の一せつが、私が仕事をするときにしばしば、しつこく邪魔をしに来る。書くまでうるさく私をいぢめに來て書けといふ。書かざるをえないところまで趁つてくるものである。このねぢくれた情意。

紙幣の博説
 偶然といふものが果しなくつながり、そこから決定されるものがたくさんにある。餘りに小説といふものに不用意に這入つてゆく私のくせが、ここにもある。

消えたひとみ
過失のうれひ
 かういふ愁ひがしばしばあつて、そのために或る時期には、身の慄へるやうなものが若い人にあつた。それもやはり詩の一章であって揉み消すことの出來ないものである。

奥醫王
 この「奥醫王」は戦時中の作品で集中唯一つの古い作品である。奥醫王は故郷の山、十九の時に山登りをした最初の最後の山である。ゆめに通ふといふとかさだかだが、それほど好きな山である。「醫王山」といふ二十年前の作品にあきたらないでゐたものだが、ついに本篇のごとく別の一つの物語に爲したものである。山といふものも人生とのなれあひが私に生じて來てゐて、はなれないことも不思議である。
(「解説」より)

 


目次

解説

  • 陶古の女人
  • ゴシップ稼業
  • 藝術家の生涯
  • 倖せは
  • 優しきときもありしが
  • 藍女
  • 紙幣の傳説
  • 消えたひとみ
  • 過失のうれひ
  • 奧醫王


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