1970年6月、北書房から刊行された素木しづ(1895~1918)の作品集。編集は山田昭夫(1928~2004)。表紙絵は長谷川伝、題字は奥村寿美子、カットは茂登山東一郎。
久しいあひだ埋没したままになってゐた素木しづ子の作品が、五十年ぶりで陽の目を見ることになったときいて、実にうれしい。佳いものはどれほど長く人から忘れられてみても、必ずいつかは表面に出てくるといふ確認を与へられた心地がする。
おしいちゃんは数すくない大正初期の女流作家の中でも、特にユニークな存在であった。しっかりした構成力を持ち、言葉を自由に駆使するといふいはゆる大作家ではなかったけれど、その代り絶対に他の追随をゆるさない、ひたむきな、実に純情な作家であった。詩情にあふれてゐて、代表作の一つ「黄昏の家の人々」などは一種の散文詩と呼んでもいいのではないかと思はれる。小品であるけれど「赤ちゃんや」なども、子供に対する母の真情が泉のやうにはとばしり出てゐて、涙なくしては読めなかったことをおぼへてゐる。
おしいちゃんと私とは実にふしぎな縁であった。小学一年生の時同級であり、私の誕生日にお客を招いた時、四五人の中にはいってゐたところをみると、仲よしグループであったらしい。だがその後おしいちゃんはどこかへ行ってしまひ、女学校の時また一緒になった。今度は組がちがったけれど何かと交渉があった。そのうち私は病気で中退し、上京したのだが、再び顔を合せたのは森田草平先生のところで、又もやおなじ年のおなじ月に入門したのである。
おしいちゃんは二十四歳で逝き、私はそれから五十餘年を生きのびた。おしいちゃんは関節炎のため片脚を失って若くして松葉杖をついてゐたが、いま私は骨折で入院してをり、直れば松葉杖をつくのださうである。どこまで奇しき縁であらうか。
おしいちゃんの作家としての才能もさることながら、画業に於てもなみなみならぬ手腕を持ってゐたと私は信じてゐる。夫君が画家であったためおしいちゃんは絵筆を捨ててしまったらしいが、だがそれまでに描いた作品は二十数点あるのではなからうか。「婦人の友」の口絵になったものなどいまだに忘れられない。誰か篤志家があって、画家素木しづ子の展覧会を催して下さることを私は切望してゐる。
(「序文/森田たま」より)
目次
序文 森田たま
Ⅰ作品篇
- 雛鳥の夢
- 嫂
- 青白き夢
- 松葉杖をつく女
- 三十三の死
- たそがれの家の人々
- かなしみの日より
- 晩餐
- 秋は淋しい
Ⅱ生涯篇
- 素木しづ白描 山田昭夫
Ⅲ資料編
あとがき 山田昭夫