1989年11月、花神社から刊行された小松弘愛の第6詩集。
四十年以上も前に死んだ叔母「愛ちゃん」について、一冊の詩集を編む、ということになった。
「愛ちゃん」の死んだのは一九四六年、敗戦の明くる年で、経済的不如意、加えて人手不足ということもあって、近くの村有地の一画に埋葬された。それを今回、先祖の地に改葬したのである。
早春の光の中で、「愛ちゃん」の頭蓋骨を手にした時は、何とも名状しがたいものがあり、その思いに私なりの言葉を……、と書きはじめたのがこの連作である。
墓をあけ、骨を取り出し、それを改めて葬る――これに要した時間は小半日ぐらいのものだったが、「愛ちゃん」にまつわるさまざまな記憶がよみがえり、思うこと、考えることは多かった。そして、死者を掘り出す、ということは同時にわたしの過去を掘り起こすことにもなり、戦争の影をも追うことになった。
戦争と言えば、村から数キロ離れた飛行場に機銃掃射がかけられていた頃、わたしは国民学校(小学校)で、グラマンに立ち向かう飛行機を夢見て、空中戦の絵を書いたりする他愛もない子供であった。
当時、娘盛りを治らない病気におかされた「愛ちゃん」が、どういう心をいだいて日々を生きていたか、それを想像するには、わたしは幼なすぎた。処女にて身に深く持つ清き卵(らん)秋の日吾の心熱くす
これは、富小路禎子さんという方の歌だが、このようなかなしみがこの世にあることも知らずに、である。
(「後記」より)
目次
- 山芋掘り
- 遺跡
- 養分
- 歯
- レンズ
- 水
- 名
- コスモス
- シュークリーム
- 蛇
- 卵
- 道
- 誘蛾灯
- ブローチ
- 乳房
後記