2008年10月、北冬舎から刊行された栗原澪子の詩集。装幀は大原信泉。木坂涼の母。
物心ついて私の最初に見た牛乳瓶は、細身で顔のすらりとしたものだった。口周りの左右に鉄の取っ手が付けられ、取っ手の先が瓶の蓋を咥えていた。蓋というよりそれは栓で、陶製だったと思う。取っ手を回転させると栓もくるりと廻って口が開く。子供の私はその回転式の栓のたてるコチッという音が好きだった。囲炉裏の、炎からちょっと離した灰の中に挿し込まれて、ぬくめられていた牛乳瓶。炎に映えるこっくりの乳白色が忘れ難い。
この細身の瓶は蓋を王冠に変えて、戦後もしばらく流通していたように思う。広口、安定形、蓋はメンコ状の紙というスタイルが一般化したのは何年頃だったか、もうはっきりしない。それが、最初から頭にひらひらのビニールフードを被っていたかどうかも。
そのビニールフードをタイトルにした詩、「うすみどりの帽子」を、この詩集に拾うかどうか私は迷った。いま、私の利用するスーパーの牛乳は、一○○パーセント紙パックに変わっている。詩集の纏めをサボっているうちに、作品にした風景は消えてしまったのだ。それでも伝わる何物かが、そこに残されているならいいのだが。 牛乳容器の変貌とは、一種異なる戸惑いを、「愛称」の詩の背景にも突き付けられた。岩波文庫の『戦争と平和』は、二年前に新版に変わったが、この新版の訳では、「物語の理解を容易にするため」として、「人物名は最も簡素な形に統一」され、あの印象深い愛称も父称も取り払われてしまった。――それってないでしょう――。私の貧しい詩の背景が消え去った驚きより、私には小説の魅力そのものが減じてしまう思いです(出征するアンドレイとの別れ、瀕死のアンドレイとの邂逅の場で、妹のマリアが「アンドリューシャ」と兄に呼びかけていることを、その後、旧版に発見。どちらの箇所も、この呼び名の効果は抜群と思われました)。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
Ⅱ
- 二〇〇一年秋、公園
- 桧町公園
- 宮下公園
- 森林公園駅
- 「現地報告」
Ⅲ
- 合図
- 蕎麦の花
- 庭
- うすみどりの帽子
- 秋日
- 砦
- 甲冑の武士
- 魂まつり
- 愛称
- 緋鯉
あとがき