1984年7月、研究社から刊行された大橋吉之輔(1924~1993)によるシャーウッド・アンダスンの研究書。
ことは些事からはじまった。たまたまシカゴで発見した、シャーウッド・アンダスンに宛てた三人の日本人の手紙について、それらにまつわる彼我の資料をできるだけ集めてみようと思いたったのだった。その作業に、多少なりとも動機があるとすれば、私自身が生れ育ったころのことをもう少しよく知りたいという個人的な感情と、アンダスンの評伝や書誌における欠落を少しでも埋めることができるのではないかという期待と、せいぜいその二つぐらいであった。
ところが、資料収集の作業にとりかかってまず気づいたことは、資料の多くが現在ではきわめて入手しにくくなっているばかりでなく、下手すれば散逸どころか消失してしまうおそれさえあることだった。ともかくこれは整理して、どこかに記録にとどめておく必要があると思いはじめ、『英語青年』にお願いしたところ、ご了承をいただいて、まず、「シャーウッド・アンダスンと三人の日本人」の連載(昭和五〇年八月号――五一年三月号)となった。その連載が終りに近づいたころ、『アメリカプロレタリヤ詩集』にアンダスンの詩が訳出されていることを、西川正身先生からご教示いただき、さきに述べたと同じような動機から、そのほうの調査も思いたった。しかし、『アメリカプロレタリヤ詩集』のほうは、現物そのものが現在では非常に入手困難なため、入手するのに少し手間どり、前の連載が終って二年半ほどして、やっと「『アメリカプロレタリヤ詩集』とシャーウッド・アンダスン」の連載(昭和五三年一〇月号―五五年八月号)をはじめることができるようになった。
どちらの連載も、正直なところ、数回で終るはずだった。というより、数回でもつづけば、という気持だった。『英語青年』との約束もそういうことだった。それが、いざはじめてみると、検証しておいたほうがいいと思われる資料が次から次へとてきて、長々と続くことになった。ことに、『アメリカプロレタリヤ詩集』のほうは、訳出されているアンダスンの詩の典拠があいまいなので、時間かせぎの気持もあって、同詩集全般にわたって調べることになった。結果としてはそのほうがよかったと思っているが、しょせんそれも自分のわがままで、そのようなわがままをこころよく恕して下さった『英語青年』の当時の編集長小出二郎氏および研究社の関係各位にはお礼の言葉もない。
それを今度は一書にまとめて下さるという。ありがたいお話だが、ぐにはお受けできなかった。というのも、連載が終ったあとでさらにいくつもの資料が出てきて、すでに書いたことの不備ばかりか、誤りも少くないことを知ったからである。資料の収集は、今でもまだ折にふれて続けている。しかし、せっかくのご厚意、ある程度でふんぎりをつけて、それ以上はまた次の機会にという気持が強くなって、連載したものを基に、訂正、削除、箱などをほどこしたのが本書である。
そういったわけで、本書ははじめから、大正中期から昭和初年にかけての日米の文壇や学界の状況について、たとえ部分的にでも考察してみようという大それた野心は毛頭なく、まして英学史などの分野に二入る気などまったくない。私自身のなかでは、今でも、本書は長年にわたるアンダスンへの執着の一つの産物なのである。ただ、調べているうちに、アングスンを中心に多少のひろがりをもちはじめ、同時に、アンダスンなどのわが国への流入を契機に、それまで「英文学」の出店か、せいぜい「英米文学」の一部でしかなかった「アメリカ文学」が、いわば独立を意識しはじめた時期でもあるので、本書の表題は『アンダスンと三人の日本人――昭和初年の「アメリカ文学」』にさせていただいた。また、『アメリカプロレタリヤ詩集』のほうは、結果的には調査がほぼ全般にわたることとなったので、『アメリカプロレタリヤ詩集』解題」とさせていただいた。
もちろん、これでことが終ったと思っているわけではない。むしろ、これからもっと重要な部分や時期に踏み入って、今日との関連において、まがりなりにも遠近法を試みてみたいという野心めいた気持もないことはない。ただそのためには、まず本書について、読者諸賢のご叱正やご教示を仰がねばならない。忌憚のないご意見をお聞かせいただければ幸いである。
しかし、わずかこれだけの書物でも、私の不明のために、お世話になったりご迷惑をおかけした方方の数はかぎりなく多い。また、この仕事を通じて、多くの知己を得られたことも望外の幸せだった。本来なら、ここに一々お名前を明記して感謝すべきところだが、その数の多さの故に、むしろ遺漏をおそれる。勝手ながら、その方方のお恕しをお願いする次第である。
勝手といえば、引用させていただいた文章も非常に多い。そのほとんどは、暗黙のご了解をいただいていると思うが、それとてこちらの勝手な思いこみかも知れない。しかも、旧仮名づかいの文章はじそのままにとどめておきたかったのだが、少し考えるところもあって、そのほとんどを新仮名づかいはに変えさせていただいた。勝手千万のそしりはまぬかれないと覚悟している。
なお、本書の草稿を整理中に、本書の内容に関係のある次の四つの全集ないし著作集が刊行された。まったくの偶然とはいえ、私自身はなにか奇縁のようなものを感じている。『高橋新吉全集』(全四巻、青土社)
『萩原恭次郎全集』(全三巻、静地社)
『辻潤全集』(全八巻、別巻一、五月書房)
『宮嶋資夫著作集』(全七巻、慶友社)なお、私事にわたって恐縮だが、本書の校正中に、初孫である谷上香子の誕生を見た。その子が将来、もしこの本を読むようなことがあるとすれば、それは確実に二十一世紀になってからである。そのころからふりかえる昭和初年は、その子たちにどのような意味をもっているだろうかと思う。
(「はじめに」より)
目次
はじめに
第一部 シャーウッド・アンダスンと三人の日本人
一 高橋新吉とアンダスン
二 吉田甲子太郎とアンダスン
- 吉田甲子太郎の第一の手紙
- アンダスンからの返書
- 吉田甲子太郎の第二の手紙
- 吉田甲子太郎の第三の手紙とアンダスンからの返書
- 吉田訳『卵の勝利』の行方
- 吉田甲子太郎の第四の手紙
- 新聞発行者としのニングスン
- 「日本及アメリカ文学の将来」
- 「アンダスンの原稿料をめぐる顛末」
- 尾﨑士郎の「アンダスン」から
- 吉田の「むかし語り」から
- 新居格の翻訳
- 吉田のアングスン論
- アンダスン作品の翻訳状況
三 高垣松雄とアンダスン
- 高垣松雄の人柄
- アンダスンとの出会い
- 高垣松雄の第一の手紙と留学の頃
- アンダスンの文体
- 高垣松雄の第二の手紙
- 高垣松雄の第三の手紙
第二部 『アメリカプロレタリヤ詩集』解題
一 『アメリカプロレタリヤ詩集』
- 『アメリカプロレタリヤ詩集』誕生まで
- 掲載作品の詩人の顔ぶれ
- 当時の思想状況との関連
- 『日本プロレタリヤ詩集』との対照性
- 萩原恭次郎の訳詞活動
- 『リトル・レッド・ソングブック』
- 『世界革命詩選』の存在
- 『世界革命詩選』の内容
三 『英語文学』の役割
- 『英語文学』の誕生
- 高垣松雄の寄稿
- 内容のユニークさ
- 辻潤の活躍とその影響
四 「歌い手」アンダスン
索引
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