1977年11月、思潮社から刊行された佐藤覚の詩集。装幀は基俊太郎。
ここに収めた詩は、一九五一年ごろから二十年余にわたって書き、ほとんどは未発表のまま、原稿の形で抽出しに入れておいたものである。だが、これをもって半生の記録であるとする考えは、私にはない。
詩を書きはじめたのはもっと早く、大学に在学中、戦後いち早く復刊し、二、三号でつぶれた第何次目だかの「新思潮」に作品を発表したことがある。
一九五二年から五五年まで、米国中西部のアイオア州立大学大学院に在籍し、創作学科の学生として英語で詩を書いていた。外国語の場合は照れ臭がらずに書け、幸い、幾つかの作品が、主任教授である詩人のポール・エングル氏の世話で活字になった。
同じころ、カール・シャピロ氏が編集長をしていたシカゴのポエトリー誌に、日本現代詩特集号を出す企画があり、エングル教授の推せんで編集客員として、女流詩人のコンスタンス・アーディン嬢と共同で作品の撰と翻訳に当った。
帰国後、今日まで、私なりに一つの課題を自分に課して来た。それは大まかに云えば、エリオット流の思考と感性の一致ということになるのだろうが、それだけの図式なら、現代詩人のほとんどの意識の基底にある詩学だろうと思う。結果としての作品の感触に違いがあるのは、照れ臭さの構造感覚が人さまざまだからだろう。
文明度が未開の社会なら、詩は作るというより、出来てしまうものだったのではないか。いつか、それが作るものとなり、最後には詩という表現形式そのものが、きまり悪いものになってしまった。といって、現代人の思考が昔より深まったり、表現手段が洗練されているわけでは、もちろんない。ただわれわれは、散文の論理性、即物性による明析さがつくりだした新しい表現の魅力を一方で経験していて、しかもそれが日常生活との関りを通じて取りこんでくる現実感覚が、個人の思考よりもっと強(したた)かに、頑丈な事物のようにわれわれの前にあって、こちらを観察しているので、芸術表現に際し、ひとりよがりや大仰な身ぶりには神経過敏にならざるを得ないのである。
私の場合、論理的思考のなかで人間の生活を確めようとするとき、詩作はもっとも確かな経験材料であり、一方詩を書くときは、論理的思考をはぐらかさずに、むしろそれを確める場とするように努めて来た。おかげで詩の方も、今に至るまで私の身についた衣裳となろうとしない。
今回、これまで書いたものを一冊にまとめる気になったのは、ひとつには三年ほど前から、散文で詩を書く気張らない方法を覚えたのを機会に、いちおうの区切りをつけたい気持になったからである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 夜明け前の共同井戸で
- 希望
- 行為
- 逃走
Ⅱ 男と女
- 男と女Ⅰ
- 男と女Ⅱ
- いつも……形なく
- なお続く
- 二つの世界
- 行軍
Ⅲ 夏
- 出航
- 航海
- 或るアメリカの都市で
- テッサリーの岸辺
- 夏
Ⅳ K地区
- K地区
- 休日の午後……
- 最初の印象から……
- 暗い海沿いの舗装路で……
- 風がセメントの粉を撤き……
- 季節に早い夜寒の訪れが……
- 雪の中で……
- 小鳥は影で
あとがき