1951年11月、風俗文献社から刊行された湯浅真沙子の歌集。
この歌集は女性みづからの肉体的欲情を露はに歌つたといふ点で、一寸類がないものかと思ふ。いはゞ曝露症的表現で、中には露骨なだけで歌としては拙なものがあると思うが、大胆率直といふ点と、自ら憶せず性欲と肉体の愛を歌ふことの正義観をもつてあるような点で、一つのドキューメントとしても男性の歌にさへかつて無かつたものである。ホイットマンが「エレキの肉体を歌ふ」と言つた態度に似た観念的な点も多分にあるが、また女性の真情を包み隠さず丸出しにした処に力もあり興味もあると思つた。決して卑猥といふ意識で記したものでなく、たゞ自ら孤りでその正しい心理の告白に忠実を守つたといふことが考へられる。このエロチシズムであるよりも即物的なのである。
たゞこれを公けに刊行するといふ点でいつも社会風紀との関係が問題にされることを予期するので、斎藤昌三さんにおたづねした上、その御厚意で出して貰ふことになつたものである。出版者もポルノグラフィーと同一視するつもりはなく、文芸作品として出すのは勿論である。
この著者のことは実はほんの僅かしか知らない。七・八年前私の門下の詩人、故倉橋弥一が紹介してきた一女性で、始め詩をかくつもりで来たのが、その詩は余り面白くなかつたのでその侭にして後交渉も杜絶えてゐた。今春その人の知人の中村といふ未知の人から亡くなつたことゝ、つまらぬ歌があるからと言つて便箋などに記した遺稿を寄越された。はじめ二三首みたが興味もないので抛つて置いたが、後何気なく少し先きを読み出してみると途方もないものなのに驚いた。
作者の閲歴も深く知らないが、富山県の人で東京にきてからは日大の芸術科に暫時通つてたといふ事しか知らない。歌でみると結婚してその夫とも死別し、ダンサアか何かしてゐたようにも思へる。私の逢つたのは七・八年前でまだ二十歳位の小柄な、どこか男性的な強さと、無ロでさつぱりしたやうな性格をもつ女性であつた印象があるだけである。すでに故人となつた人、その歌稿だけが生きれば幸ひであらう。
(「序/川路柳虹」より)
目次
- 新婚
- 美貌の友
- いで湯
- 紅閨
- 同性愛
- ひとりの愛
- ひとりの愛
- クーキー
- 楽屋口
- 路傍の男
- 性愛
- 命日
- ダンサア
- 余情
- 祭りの日
- 補遺四首