メトロポリティック 夏石番矢句集

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 1985年7月、牧羊社から刊行された夏石番矢の第2句集。装幀は伊藤鑛治。

 

 本書は、第一句集『猟常記』(昭和58年)に次ぐ第二句集である。昭和五七年から昭和六〇年の間に書いた一六六句を収録した。時期的には第一句集の作品と重なるものもあるが、作品の性質上ここに集めた。また、昭和五八年より書き継いでいる昭和天皇勅語をもどいた「未定勅語」は、単独で第三句集にするつもりである。
 この第二句集の題名については、「『メトロポリティック』にむけて」(「詩学」昭和60年3月号)という短文で触れたことがあるので引いてみよう。


 métropolitique(メトロポリティック)ということばが、私の頭に浮かんだのは、一昨年の春ごろだったろうか。高柳重信の死にともなって廃刊になった「俳句評論」第178号(昭和58年6月)に、この造語を題とした俳句作品十句が載っている。
 どうして、フランス語風の奇妙なことばをつくってしまったのだろうか。
 エズラ・パウンドが、日本の俳句の翻訳に触発されて書いた詩は、metropoem(メトロポエム)と呼ばれるが、別にこの短詩を意識したわけではない。私の俳句はパウンドの短詩よりすぐれていると思っている。むしろ、「地下鉄」を意味するmetro(メトロ)に、地下に穴掘る私の作句作業に通じるものを見出だしたのかもしれない。
 フランス語のmétromane(メトロマーヌ)は作詩狂を指すが、そのmétro(メトロ)はmètre(メートル)つまり韻律をあらわす。してみると、全く突飛な造語だったのではなくなる。
 そして、politique(ポリティック)ということばに、政治や政策を見れば、métropolitique(メトロポリティック)は、韻律のポリシー、詩のポリシーということになる。俳句の五七五のリズムは、多くの人を簡単に操ろうとする性質を持っているが、私のポリシーは人を操るためのものではなく、少数の人を覚醒させるためのものでありたい。
 あるいは、métropole(メトロポール)つまりメトロポリスが心のすみに潜んでいたかもしれない。現在住んでいる浦和が、メトロポリス(地方の主要都市)と言えるかどうかは別にして、大学生・大学院生として十年暮らしたメトロポリス(首都)東京が、私の俳句にどんな影を落としているのだろうか。三十歳になる今年の七月に『メトロポリティック』(牧羊社)という第二句集を出す。(略)


 自ら一六六句を編成してみて、右に引いたことばにつけ加えるとすれば、あいかわらずさまざまなエレメントが作品においてぶつかりあっていることであろうか。あるいは、『メトロポリティック』という句集名の響きに呼応するように、第一句集『猟常記』の作品よりは、表面的には明るくなったような気がする。しかし、澱のように漠然とした不安感が作品の底に沈んでいるようでもある。
 たった一人のまつりごとを、私のポエティックかつポリティックと呼んでみようか。魂の祝祭がほとんど消えた現代日本においては、文学にしろ政治にしろ、底割れのした他者をマッスとして操ろうとするばかりではないだろうか。夏石番矢は、異形の他者を招来しようとしてせりあがった虚空の祭壇でありたい。このようなまつりごとは、「未定勅語」へとつながっている。
(「あとがき」より)

 

書評等
夏石番矢句集『Metropolitique』論(吟遊)

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