夢の島 日野啓三

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 1985年10月、講談社から刊行された日野啓三の短編小説集。装幀は菊地信義、写真は菊地仁。第36回芸術選奨文部科学大臣賞受賞作品。

 

 もう二十年以上前、勤め先の新聞社が西銀座にあったころ、夕刊の締切が終わったあとに、ぶらりと銀座通りを横切り、昭和通りを越え、聖路加病院の前あたりを過ぎて、隅田川河口の岸によくひとりで坐っていたことがある。
 またその時分は羽田空港がまだ外国行き空港で、湾岸の高速道路を車で走りながら、海中にいつのまにか灰白色の新しい土地が盛り上がってひろがってゆくのを、幾度まぶしい思いで眺めたのだ。
 新聞社が大手町に移ってからは、夕方早く勤務が終わった日、地下鉄東西線で帰路と反対方向に、葛西や行徳の方まで行って、ひと気ない埋立地を歩きまわった。
 品川から埋立地を貫いて通るバスが出ていることを知ったのは数年前のことだが、東京湾沿いあるいはその中につくられてゆく埋立地帯は、ずっとなぜか私の心の深い部分をひきつけてきた。東京の中心部から歩いてあるいはバス、地下鉄でわずか十数分のところに、荒涼とふしぎな世界がある。別世界がつくられている……。

 幾つもの作品でこれまで少しずつ触れてきたその魅惑の場所に、思いきって想念の歩みを踏みこんだのがこの作品である。いつかぜひ書きたいと思ってきた作品だった。

 かつて韓国から日本がよく見えるな、と思ったことがある。
 埋立地からは東京がよく見える。そこで生きてきた自分自身も。
 物事にはそういうよく見える意外な地点というものがあるらしい。

 この作品では、これまでの私の小説と少しちがって、小説的なつくりを意識的にとっている。
 東京という都市への愛情ととるに、小説への愛情が、そうさせたように思う。
 廃棄物の地面に立つと、東京も小説もいまのような形はいつか壊れ滅びることになるかしれない、という哀切の思いが茫漠と去来するのである。
(「あとがき」より)

 

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