1979年4月、木耳社から刊行された唐澤富太郎による日本の女子学生に関する教育史研究書。
目次
プロローグ
Ⅰ 三代女子学生の青春譜
一 ”女は学なしをよしとす”
- 女は三界に家なし
- 腹は借りもの
二 青い目に見守られて
- 女子留学生第一号――五人の少女らアメリカに渡る
- 女も小学一年生
- アイ アム ア ガール
- 明治の異彩”風車の学校”
三 女子の教養は英語と漢学から
- 蛮カラ女子学生
- 「お姫様(ひいさま)の学校」竹橋女学校
- 東京の書林に土佐日記なし
- 「上流奥様養成所」跡見女学校の創立
- 矢島楫子
- 楫子と教員養成所
- 楫子の女子学院と英語教育
- 楫子の教育思想
- 女子学院塾舎の生活
- 女紅場
四 最高学府を誇る女子師範生
- 官制女子教育の典型東京女子師範学校の創立
- 「三尺戸棚」の勉強室
- つめこみ主義の女子師範学校
- 学問好きの娘を生んだは家門の恥
- 学校よりも奉公
- 「お可愛想に」の女子師範生
- 女子師範生の寄宿舎生活
- 余一瓢をたずさえて
五 覚醒の鐘はなる
- 女初めて壇上に立つ
- 女性闘士福田英子
- ”雪中梅”
- 婦人民権家三幅対
- 鹿鳴館時代
- 文化は洋装から文明は英語から
- 家鴨の火事見舞
- 英語熱
- フェミニズムの拾頭と明治女学校
- 若い教師と女生徒
- 王女会
- 女学熱と『女学雑誌』
- 国粋主義の擡頭と女子教育
- 『国民之友』と女学熱批判
- ハイカラ教育から良妻賢母教育へ
- 女子の教員は国家経済の上に必要
- 政治的生活は浮気の生活なり。妙齢の婦女子には大禁物なり
七 良妻賢母
八 女子大生第一号
- ”魔風恋風そよそよと”
- 人間として 婦人として 国民として
- 第一回入学生
- 女子大創立当時の教授陣
- 女子大寮生活
- 火事の練習
- 東京名物運動会
- 女子大卒業生
九 黎明期の女子高等教育
- 津田梅子の英学塾
- 女高師の卒業生
- 女医第一号
- 草創期医学志望の女子学生
- 男女共学の悲劇―女医学校設立の動機
- 女医学校経営の困難と発展
- 『女の一生』が描き出した女子医学生
- 近代女性の自我の目ざめ
- 海老茶式部
- 洋服の登場
- ブック オン ザ ヘッド――女子スポーツの発達
- 退学処分をうけたミス・日本
- 恋愛するは堕落学生
- 哲学書物読む可からず
- 新女大学 可からず十ヵ条
- ハイカラ節
- 七つ道具の女子美術学生
- ”学士様なら お嫁にやろか”
- 貸間あり賄附娘附
- 女学生の結婚観
一〇 女性の成長と限界
- 新しい女
- 女学校の数激増す
- 女子高等教育は民族繁栄に害あり
- 弱き者よ汝の名は女なり
- 成瀬仁蔵委員の進歩的意見
- 女子高等教育機関設置の声高まる
- 東京女子大学の創立と安井てつ
- 学生運動
- 思想問題と女子学生
- ミリタリズムとミッション・スクール
- 日本女子大生と東京女子大生
- 女学校と男性――敬遠される男子の教員
- 輝めかしい女博士の誕生
一一 戦争と女子学生
- 「忠孝」の掛軸に生命を捧げた女学生
- ミリタリズムの荒れ狂うなかで
- お久振り、まだ生きてたの
- 銘記せよ、姫百合決死隊
一二 男女共学と女子学生
- 男女共学の先駆
- 地についてきた男女共学
- 当世女学生気質
- 風にそよぐ葦
- 女子短大プーム
- 四年制大学の女子学生
- キャリヤウーマン
- 婦人の主体的力量の必要
Ⅱ 女子教育に捧げた生涯
- 女子教育の伝道者
- 女子教育に身を捧げるに至った動機
- 誰か賢婦にあいしか
- 梅花女学校・新潟女学校
- 渡米後の女子大設立宣言
- 山師と間違われた成瀬
- 成瀬の長尻
- フェミニスト成瀬仁蔵
- 三大教育目標
- 自発創生
- 実践倫理
- 福沢・新島・成瀬
二 津田梅子――女子英学塾の創立者
- いたいけな女子留学生
- 米国留学当時
- マザー・タングを忘れた日本娘
- 再度の留学
- 女子英学塾の創立
- 教育理念
三 安井てつー東京女子大学の創立
- 欧化の怒濤のなかで
- 英国留学前後
- 東京女子大学の創立
- ”赤化”学生と安井てつ
- ミリタリズムの嵐
四 跡見花蹊――跡見女学校の創立者
- 勉学の苦心
- 私塾経営
- 雲井に近く名のり初めけり
- 跡見女学校創立
- 無名の英雄
- 質素な寄宿舎
- 婦人記者になるまで
- 『家庭之友』
- 自由学園の創立
- 自労自活
- 婦人と職業
- 桃夭塾
- 華族女学校
- 実践女学校の創立
七 鳩山春子――共立女子職業学校
- 頑張り主義
- 修学と結婚
- 共立女子職業学校の創立
- 婦人の天職
- その他の事業
八 棚橋絢子――多彩な女子教育の実践
- 生涯と研学
- 多彩な教育活動
- 禅尼の如き風貌
九 三輪田真佐子――三輪田女学校の創立者
- 修学時代
- 明倫学舎
- 翠松学舎
- 三輪田女学校
- 崇拝心の養成
- 良妻賢母
- 和魂洋才
- 体育の重視
- 著作
一〇 大妻コタカ――技芸学校の設立者
- 修学時代
- 大妻技芸伝習所
- 大妻高等女学校
- 教育思想―恥を知れ
- 教育一筋に
一一 巌本善治――『女学雑誌』と明治女学校
- ”女学雑誌”に名論を掲げる
- 明治女学校
- 寄宿舎生活
- 明治女学校の辿った運命
- 巌本善治の人物評
エピローグ
関連リンク
唐澤博物館