久保田万太郎回想

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 1964年12月、中央公論社から刊行された久保田万太郎の回想集。編者は佐藤朔、池田弥三郎、白井浩司。

 本書は、はじめ、「久保田万太郎追悼号」として、雑誌「三田文学」の、復刊第一号とする計画のもとに、編集が進められた。従って、それは、休刊以後も存続していた三田文学のメンバーのうち、特に故人と親しい関者にあった人々の手によって、立案され、進行していった。事実上の編集事務は、白井浩司が担当し、原稿依頼者の名は、三田文学会の会長であった奥野信太郎氏であった。
 ところが、編集の進行途上において、従来の三田文学会の改組、新発足のことが並行し、そのため、雑誌の発行が、やや遅延することが予想されるに至った。そこで当初の計画を変更して、これを「三田文学」および三田文学会とは切り放して、独立した単行本として、慶応義塾内に設けられた「久保田万太郎著作権運営委員会」の手により、久保田資金による記念事業の一つとして、出版することになった。といっても事実上の変更はなく、もちろん、そのために、編集者が交替することもなく、内容においても変更したところは生じてはいない。ただ、本書の編者名として、三名の連記となっているのは、運営委員会といったような名を避けて、委員会のメンバーの中の氏名を表記したもので、それは主として、出版書肆の希望に従っただけである。
 ちなみに、記念事業としての出版は、句集『流寓抄以後』の刊行についで、本書が第二番目である。出版書肆中央公論社は、やがて『久保田万太郎全集』の出版書肆となることが、決定している。
 本書は、見られる通り、研究・回想・資料の三部に分けられているが、資料篇は別として、研究篇と回想篇とに分けた原稿のあるものについては、実は必ずしも、厳密な区別があるわけではない。それらについては、むしろ原稿の長短によって、所属を分けたという、便宜に従ったものもある。ただし、編集の構想としては、研究は、「人と文学」「小説論」「戯曲論」「俳句論」という排列を考えてある。それに対して回想篇は、執筆者氏名の五十音順によって排列した。
 資料篇は、それぞれその末尾に記した方々によって、短日月の間に、ここまでまとめあげていただいた。これに「批評一覧」と、特に交友関係の広かった故人の、関係別のグループの氏名一覧のごときものを加えることができたなら、まず、完璧に近いものとなるであろう。それは他日を期したい。
 こうした内容であるが、書名はあえて『久保田万太郎回想』とした。それは、煩瑣を避けたのと、同じ書肆による『宇野浩二回想』に、形を揃えたためもある。
(「あとがき/佐藤朔・池田弥三郎・白井浩司」より)

 

目次

研究
<人と文学>

<戯曲論>

  • 久保田先生の戯曲 戸板康二
  • 万太郎戯曲の論 西村亨

<俳句論>

回想

 

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