1958年1月、的場書房から刊行された川村洋一の第1詩集。
未完成と思われる完成
川村洋一は、少年の姿でぼく等のグループにはいつて来てから、ながい月日のあいだ、いまだに少年の姿のままでいる詩人である。彼はずつと、無口でハニカミヤのようにふるまつたので、当時の女流詩人たちから「何ておとなしい詩人でしよう。」と言われたものだつた。しかし、ほんとうは、彼はおとなしくも可愛くもなかつた。そんな噂をした女流詩人たちは間もなく没落してしまつて、かわいい子どもだと言われた彼がたくましく伸びて来たことが注目の的になった。
川村洋一は無口でもハニカミヤでもなかつた。彼の若さと聡明さが、何ものにも束縛されることを拒んできたためだつた。とくに、詩壇の流れについての彼の批判は冷酷だつた。彼は彼の精神を自由にのばすことに夢中だつたようだ。具体的にいえば、時流にオベッカ的な詩を五年間も書きつづけたら、ジヤーナリズムの中で容易に詩人と呼ばれるようになるのが現代詩の悪癖であるが、彼はそんなことに真向から背をむけて自己の道を拓こうとした。そして、今や彼はその開拓の途中にあって、苦しい仕事を楽しげにやつているかに見える。彼にとっては目的地に着くことよりも旅をしていることのほうがもっと大切で、もっと意義あることだと思っているのであろう。それはたしかにそうである。そして正しいことである。
そういう意味から、彼の詩に時々のさばり出てくる無駄足や、思いもよらぬへ<字あまり>的ことばづかいや思いちがいや、さまざまの失策やを、それと考えて片付けてしまわないで、ながい眼でみていたいと思う。もちろん、これらのことは、いわゆる詩壇からは不要のものだといわれるものだし、ぼく自身の考えでも賛成できかねるものである。しかし、ぼくは才能や世代の相異を自覚することによつて、この新しい芽の伸びるさまを見まもつて行きたいと思う。
川村洋一の詩は、北国人的な、独特な内面的に発展していく想像力に充ちている。それに加えて放浪者流の奔放さと散文的着想――これらは、とくに偽装紳士的現代詩がきらうものだが――は、何か異様なニュアンスをかもし出している。この不安定のように思われる詩形に、それは不完全であるが故にかえつて新しい詩的リアリティをきびしくもりあげてくる。このことは、ぼくらのグループが念願した詩の方法の一つでもあったが、この詩集はその未踏の頂上をさしていく堅実な歩調のように思われてくる。それでいいと思う。詩人の仕事は永遠に未完成という完成を追っていくものなのだから。
(「『氷河』について/岩本修蔵」より)
目次
- 現代
- 美しい秘密
- 詩人はお菓子がお好き
- 倒れてゆくビルの街に
- 冬の旅
- 1 春の旅
- 2 夏の旅
- 3 秋の旅
- 4 冬の旅
- 孤独な五月
- 凍る河
- 蒼い月影に
- 氷河を歩くリリオム
- 海の顔
- 展覧会の絵
- 午前零時のリリオム
- ある笑いについて
- 黙つていると
- 海の秘密
- 風の秘密
- 海の季節
「氷河」について 岩本修蔵