1984年5月、詩学社から刊行された齋藤怘の第6詩集。装幀は齋藤求。
鮭は生れた川に帰って来る。候鳥は同じ湖に渡って来る。漢江が洋々と広野を洗うソウルに生れ、人格形成期の大半ををそこで過し、多くの友を残して来た私が、今なおその土地にひかれるのは間違いであろうか。
私がそれをためらうのは、私が生れたその土地が「大日本帝国」の「植民地」であり、その土地を「故郷」として恋いこがれることが、侵略された国に対し、「非礼」であることを私が知っているからである。
敗戦以来既に四十年が過ぎ、私が生れた「甲子」の年がめぐって来た。「人生わずか二十年」と配嘱将校からたたきこまれた私たちの年代が六十歳となり、当時わずかに二十三・九歳だつた日本男性の平均寿命が、今では七十四・二歳の長寿に達している。
この平和な日日に暮らし、私は祖国ならぬ「大日本帝国」のために死んで行った多くの朝鮮の友たちを想う。その人たちの「無念」を想う。
洋々と広野を洗った漢江の流れは、既にその姿を変えているという。しかし、私の心には今なお洋々とした漢江が流れている。その漢江に対し、私は永遠に「私の漢江」と呼べないのである。
巻末の一編「陽は落ちて」は、私の体験線上にあるものをもとり入れ、多くの人々に語りかける朗読を意識して書いた作品である。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
Ⅱ
- けんか
- 地図
- 暗い海
- 関釜連絡船
- 南北の道
- 鳩
- 上野公園
- 怨
- 街
- 花
- 夏
- 陽は落ちて
あとがき